【白馬三山と五竜岳とおまけ】その2

第3章 また逢う日まで逢えるときまで


唐松山荘(5:50)---(7:25)五竜山荘(7:35)---(8:20)五竜岳(9:30)---(10:10)五竜山荘(11:00)---(13:00)小遠見分岐---(14:00)テレキャビン駅


山小屋の夜は早い。6時前に夕食を食べると後は寝るだけ、登山者は皆、思い思いに時間を潰す。天気が良ければ外に出て星空を眺めるのも良いし、遠くの街の灯を見ながら下界のうさを晴らすも良い、でも今夜は雨だ。
僕は明日のコースを考えながら一人ちびちびと酒を飲んでいた。ここまで丸二日、この山に来て眺望らしきものを見たことがない。ガスと雲と雨と少しの花だけだ。いくら高山植物が美しいからと言っても丸二日、雨の中で見たってちっとも面白くないのだ。そんなものはすぐに飽きてしまう。雄大な景色があってこそ高山植物は生えるのだと思う。そう考えるとだんだん腹が立ってきた。しかし、いくら腹を立ててみても何の解決にもならないことは、誰もが知っていたので口に出さないだけだ。そんなことを考えているうちに眠ってしまったのが本当のところだ。

明け方3時を過ぎた頃からガサガサ、モソモソ、ドンドンと言う音で目が覚める。しかし、すぐには起き出せない。薄目を開けて窓の外を少し見るとまだ外は暗い。その時は、そのまま又眠ってしまったが、さすがに4時を過ぎた頃には起き出さない訳には行かなくなった。隣で寝ていたはずの東京の人(面倒なのでこれからは隣組と呼ぶ)は、すでに起きあがってザックに身の回りのものを詰めて支度をしている。
「おはようございます」と言って起き出したら
「今朝は何とか晴れていて景色も見えましたよ」と言ってたので、急いでカメラと三脚と換えのレンズを取り出し外に出る。

唐松山荘の真ん前には剣岳が大きく見える、という話は聞いてはいたのだが、朝日に染まる剣の頂は、荘厳な美しさにあふれていた。。学校登山の子供達も、ご来光を拝みに唐松岳の山頂まで登っているのが見えた。僕は急いで小屋の裏手にある小高いピークまでサンダルで駈け登った。そこは360°のパノラマであった。

昨日通ってきた不帰ノ嶮から白馬三山が朝焼けに染まり、振り返ると目の前に剣岳、立山連峰、五竜岳、ずっと遠く雲の彼方に、ひょこんと顔をのぞかせる名前の判らない山々、雲海が下界を遮り朝の日が雲の合間から顔を出し、しばしの間ではあるが山の朝を堪能させてくれた。初めてみる北アルプスの眺望だった。
 暫く夢中でシャッターを切り、朝日が雲の中に消えてから小屋に戻った。今日は天気が良さそうなので、当初の予定通り五竜岳まで足を延ばそうと決め、身の回りのものを片づけているとアナウンスがあり朝食の時間となった。急いで駆け下り食堂に並んで、ばくばくと朝食をかき込む。水がない割に白馬山荘よりは美味しい朝食だった。

この山荘では飲料水がないので、僕等登山者はミネラルウオーターの瓶を500ml辺り300円で買うことになる。ちょっと高いようにも思うが、いたしかたない、水がなければ歩けないのだ。隣の人達に挨拶して僕は一人五竜岳に向かうことにする。ガイドブックのコースタイムは五竜山荘まで2時間40分、そこから五竜の山頂まで1時間、気合いを入れて望む、本日で北アの稜線と別れなければいけないので、心ゆくまで景色を堪能しようと心に決め、靴の紐をきつく締め外に出る。もう早い人は遙か彼方に行ってしまったんだろうなと思っていると、隣組も外に出てきたので、「ゆっくり先に行ってますので良かったら追いついて下さい」と言って出発した。

山荘を出発しすぐに登り、大黒岳と言うピークらしいが、すぐに鎖の張ってある岩稜の下り、視界が効く分スリルがあって面白い、すたすたと下り、一旦コルに出る。この辺で先行者を一組抜き、後を振り返ると大きなザックを背負った隣組がぐんぐん迫ってくる。隣組も相当足が速いようだ。
ここから少し平坦な道が続いたと思ったらすぐに下り、高度がぐんぐん下がる。下りきったら又登り、見上げると峰を大きく巻き込み道が視界から途切れている。諦めと、こんちくしょうと言う気持ちで急ぐ。巻いていくと、まだまだ道は登っている。昨日までは先が見えない分、気分的に楽だったけど視界が効くと言うことは逆に、登行意欲を刺激するか、めげるかしかないのではなかろうか、このときはまだ朝一番の行程だったので頑張る気にもなったが、逆だったら、もういいやという諦念の気持ちの方が勝ちそうな気がする。しかし、目の前に次第に迫る、五竜岳の巨大な姿に引き込まれるように僕は登り続けた。

フウフウ言いながら登り切ると、少し下ったところに五竜山荘が見えた。振り返ると誰もいない道が延々と続いている。五竜山荘で少し休憩し、フィルムを買う。山荘の人に五竜岳への道を聞いたところ、やはり1時間くらい掛かるそうだ。でも山頂には別世界の視界が広がっているという。僕は又気合いを入れ直し、山頂に向かった。
本来であれば重い荷物をここに預けて空身で登っても良いのだが、折角持ってきたカメラ機材や水なんてのも上で利用したいので、一式背負っていくことにした。

ここにも途中鎖場があり、あまり気持ちは良くなかったが、ぐんぐん高度を稼ぎ8時20分五竜岳山頂(2814m)着、5時50分に唐松山荘を出たのだから、2時間30分で到着と言うことになる。まだまだ僕の足も捨てたものじゃないと思いながら目線を上げると、そこには、この世のものとは思えない別次元の景色が広がっていた。

やっぱり昨日、槍温泉の分岐で下らなくて大正解であった。暫くするとフウフウ言いながら隣組がやって来た。
「早いねえ全然追いつかなかったよ、ノンストップで来たんでしょう」と言うので、さも当然と言った顔つきでいると、今日の山歩きはもう終わり、ここでゆっくり景色を楽しんで行こうと言うことになり、それから一歩も動かずに北アの景色を楽しんだのである。
五竜の山頂は本当に360°の景色が堪能できる。北の方には僕等が歩いてきた白馬三山の山並み、振り返ると鹿島槍ガ岳の吊り尾根の二つのピークに手が届きそうな近さで望める。
山頂には大勢の登山者が見える。少し視線を遠くにやると、手前から針ノ木岳、蓮華岳、その奥に野口五郎岳、雲の中に憧れの槍ヶ岳が時々姿を現す。また少し右に視線を動かすと、薬師岳、水晶岳、その又右に立山連峰、その又右に剣岳、毛勝三山、そして日本海、戻って鹿島槍ガ岳の左手には雲の中にぽっかりと富士山の山頂、八ヶ岳の峰々、南アルプスの北岳、間岳、等々、殆どの名峰が雲の上からその穂先を出している。いやあ、やっぱり山はいいね。この景色はここまで来なければ望めないのだ。

山の名前は殆ど隣組の受け売りではあるが、今回で北アは卒業のつもりでいた僕は、考えを改める必要に迫られたのである。
気が付くと、隣組はザックから次々におやつを引っぱり出し食べ続けている。少し気が引けたのか、お裾分けを貰うが、こちらはそれどころではないのだ。何と言っても景色を見ないことには話にならない。本当に時間というのはあっという間に過ぎる。側にいた人も景色に圧倒され2時間近くいるという。やっぱり山はこうでなくっちゃいけない。
そうこうしている内に一人消え、また一人と山頂から人が少なくなってきた。けれども後から後からやって来るので、じきにまた賑やかになることだろう。

隣組とは、ここでお別れする事になる。彼はこの後キレット小屋まで4時間掛けて一旦下り、そこに一泊後、明日、鹿島槍ガ岳に登ることだろう。ここからは手が届きそうなところに見えるのだが、約7時間掛かると言うことだ。僕は来た道を戻り、五竜山荘で昼の弁当を食べ休憩後、遠見尾根を下ることにしていたので一緒に山頂を後にし途中で別れた。何となく名残惜しくはあるがこれも旅の一齣、山行の無事を祈る。

こと下りにかけては他人に負けたことがない僕は、一気に五竜山荘まで下り唐松山荘から持ってきた弁当を頬ばる。じきに山頂で一緒だった、やけに調子のいい単独行の男がやってきて彼もここで弁当を食べるという。この男は昨夜キレット小屋に泊まっていたらしく、やって来る登山者とは皆顔見知りのようで調子よくお喋りをしている。まったくこういうお調子者は何処にでも現れるものだ。僕は適当に相槌を打ちながら弁当を平らげるとすぐに出発する。せわしないようだが、まだ本日の行程の半分も消化してないのだ。

何処へ向かうのかと回りの登山者達が聞くので、後は遠見尾根を下るだけだというと、皆一様に嫌な顔をする。何故かと思ったら、呼んで字の如く、とても遠くてアップダウンが激しいと言うことだった。
テレキャビンのアルプス平駅まで、およそ4時間の表示、まあここを下らないと、もう一泊しなくてはいけないし、折角五竜から降りてきたんだから、また登るのは馬鹿らしいし、結局下ることにした。周囲の声に影響されやすいのは、ここに来て以来ずっと続いているが僕は諦め、北アの稜線に別れを告げ長い下りを歩き始めた。

最初は一気に高度が下がり、すぐに着くものと甘い考えを持って歩いていたのだが、行き交う筈の登山者は遙か下まで行かないと出会わなかったし、何とも寂しい登山路だった。
延々3時間、何とか歩き続けてアルプス平駅まで辿り着いたときには意識が朦朧としていたのである。五竜山荘で水筒一杯の水(1.3リットル)もすべて飲んでしまっていた。
駅の洗面所で顔を洗い、テレキャビンに乗ってから、はたと気付いた、腕時計がないのである。どうも洗面所に置いてきたらしい。下車後すぐに係りの兄ちゃんに事情を説明したら少し待っていて下さいとのこと。まあ、あまり高い時計じゃないけど、いろんな山を回ったときにいつも着けていたものなので、かなり愛着がある。だが15分ほどすると幸いにも戻ってきた。

三日振りの下界は暑いし、頭はぼおっとするし、僕はテクテク宿までの道を歩きながらここは僕の住むところではないと訳の分からぬことを必死で考えていた。
宿に帰るとすぐに近くの温泉に行った。近くにきれいな温泉があるので、どうぞと言って割引券をくれたのを覚えていたのですぐに向かった。とにかく下界に降りてくると風呂に入りたくなるのは日頃の習性だろう。車で10分ほどの所に「十郎の湯」と言う温泉があるのだ。

僕は3日間の汚れを洗い落とすと湯船にザブンと飛び込んだ。というのは嘘で、シャワーの温度を最低にして腿から脹ら脛にかけて丹念にかけた。というのも長い下りで筋肉が炎症を起こし少し腫れているからだ。こんな時はザブンと温泉に入るのは逆効果、逆に冷やさないと明日の朝にはパンパンに張って歩けないと言うことになる。ゆっくり冷やしてから少しだけ温泉に入り外に出る。
折角ここまで来たのだから、白馬の街に、おみやげでも見に行こうと向かうが、以前来たときより相当変わっている。つまりオリンピックのせいだ。

ぐるぐると狭い民宿街を回り、昔泊まった宿の辺りをうろつくと土産物屋があったので中に入ると、結局どこにでもあるおみやげばかり、会社に少しのおみやげを買う
今でも白馬の中心街は工事中、その様相も当時と一変しており早々に退散する。途中、酒屋によってビールとワインを買い込み、夕食まで、ぐいぐいやり過ぎ酔っぱらってしまった。この日の宿は土日のこともあり結構混んでいた。僕は早々に夕食を済ませると、眠くなったので部屋に行きすぐに寝込んでしまったようだ。
これで今回の北アルプスの旅は終わったようだが、世の中そうはいかないのが不思議なところである。




第4章  旅の終わり、そして、、、


神城宿(5:45)---(8:20)新穂高温泉- -ロープウェイ乗車(9:40)---(10:10)西穂口---(10:50)西穂山荘---(11:40)独標(12:00)---(12:28)西穂山荘---(13:17)西穂口---(14:11)駐車場


早朝、4時半に目が覚めた。久々に熟睡した夜であり夢も覚えていなかった。すぐに身繕いをして階下に降りていくと朝食の準備が出来ており、別の客が先に食べていた。先客のカップルはスマートに朝食を食べており、これから白馬大雪渓を登るのだと言うことだった。「今日は天気が良さそうですね」と言って僕は自分の朝食に向かった。
宿の主人が先客を猿倉まで送っている内に、僕は支度を済ませ奥方に会計をお願いし水を水筒一杯貰い出発した。前夜、酔っ払ってから朝早く上高地に行くと言っていたのを主人が覚えていて、裏道の地図を作っていてくれたので、それを頼りに松本の郊外を抜けて上高地方面へと向かう。結果的にかなりの時間短縮となった。

 5時45分に宿を出て順調に距離を稼ぎ、国道158号にぶつかり、ここを右折して何処までも行けば上高地だ。道は梓川沿いに何処までも登っていく。関西電力のダムが、いたるところにあり、標高はすでに1000mを越えている。今日は土曜日、大変混雑が予想されたが、思いの外すんなりと沢渡の駐車場までやって来た。僕はそんな人の混雑するところには行かずに直進し、昔の難所、飛騨へと抜ける安房峠を目指す。近年この峠にはトンネルが開通し、随分近くなったと言うことだ。車は知らぬ間に安房トンネルに入っていた。あっという間に飛騨側に抜け料金所がある。料金は普通車750円とのこと、すべて自動料金支払いシステムになっており順調に抜けて平湯温泉に向かう。僕は右に折れ栃尾まで下り、そこからまた右折し新穂高温泉を目指して車を走らせた。

新穂高温泉には東洋一のロープウェイが架かっている。本日は、かなり楽をして、このロープウェイを乗り継ぎ、穂高の稜線まで足を延ばそうという魂胆だ。だがしかし、僕の目論見はいとも簡単に外れた。
新穂高温泉に入り、ずらずらと奥まで無防備に進んで行ったら駐車場があった。何とその前のロープウェイの山麓駅には黒山の人集り、長蛇の列、どこからこんなに人が集まってくるのか、しかもこんな山奥にだ。世の中楽なことを考えると罰が当たるというのは本当のことだ。

考えてみれば、ここは高名な観光地、一般の人達もかなりの数やって来るのだ。駐車場の車のナンバーなんて日本全国津々浦々、全然知らないナンバーもある。これはやっぱり失敗だったのかと一瞬思ったが、しかし折角ここまで遠路はるばるやって来たのだ。遠路と言ったら○○ナンバーなど何処にも見あたらない。あたふたと着替えを済ませ、取るものも取りあえず行列の末端に駆け込み並ぶ。(結構忘れ物をした)

アナウンスがあり、現在の状況を伝えるところによれば、ロープウェイは現在フル高速稼働しており、5分間隔で40人ずつ運んでいるという。つまり1時間に480人を天国に運んでいると言うことだ。我慢して待つことにする。駅の外に並んでるのは、どう多く見たって200人位だ。1時間待ってれば楽に乗れると考えたからだが、これが間違いの始まり、駅の構内までは思いの外すんなりと入ることが出来たが、それからがすごかった。葛折りにグニャグニャと、ひ、ひ、ひとの列が、、、、、もう絶句である。試しに駅員にどれくらい掛かるのか聞いたら、30分と言うことだが完全に嘘に決まっている。が、ここまで来たからには引き返す訳には行かない。ここはじっと我慢の良い子であった。普段の自分なら必ず帰ると思うのだが何故か不思議なことに、ここは我慢できた。

世の中何が不思議かって、これだけの人が集まった中に、一人も僕のことを知っている人間がいないというのは驚嘆以外の何物でもない。普段慎ましく仙人のような生活を送っている身には、変な表現だけど晴れやかで嬉しいのだ。もっとも、僕を知っている人が日本全国に何人いるか知らないが、こういう状況は、山の上での多くの人との出会いとは感覚的に違う。

待つこと1時間半、やっとの事で乗れたロープウェイは、すぐに次の駅に着いた。ここで2階建てのロープウェイに乗り換えて、標高2155mの西穂高口まで一気に登る。だが満員乗車のため景色なんて殆ど見えない。
西穂高口着10時10分、どっと乗客が吐き出される。ここには高原の遊歩道が整備されており、サンダル履きでも遊んでいける。でも明確な境界線が引いてあり、その先は登山装備なしでは入れないことになっているが、誰も見ているわけではない。

ここから西穂山荘まで急登して1時間半の予定、僕は西穂山荘まで登り、上高地を俯瞰し帰るつもりでいたのだ。思いのほか時間が掛かったし、これだけの人が登っていると言うことは、いつか帰る訳だし、当然帰りも込み合うという方程式が成り立つ訳だ。
僕はピッチを上げて登り始めた。荷物なんてカメラと雨具くらいだし、靴も昨日までの重い登山靴は車に置いて、いつも鳥海を散歩している軽めのトレッキングシューズ、当然昨日に比べたら体が蝶のように軽い。

10時50分、あっという間に西穂山荘に到着、ロープウェイの駅から手の届くところにあるように見えたのだが、一旦下ってまた登り返すので結構時間が掛かるのだ。山荘前はどこから来たのか、関西弁のガキどもで一杯なので無視して素通りし、少し上の見晴らしの良いところまで登る。5分ほど登ったら、かなり見晴らしの効くところまで出た。
隣にいたおいちゃんに記念の写真を撮って貰う。彼の解説によれば手前に見えるのが独標(どっぴょう)、その後がピラミッドピーク、そして我らが西穂高岳と続くと言うことだが、独標から西穂高までは大小13ものピークを超していかなければいけない完全な岩登りのコース、初心者と言う部類に入る人は慎んでいただきたいと解説書に書いてあった。
西穂山荘から独標まで1時間30分、独標から西穂高岳までさらに1時間30分、本当はここで帰るつもりだったのだが、ここまで来て目の前のあの頂に登らずに帰れるかと、とにかく気合いを入れて独標まで向かうことにした。本当に高いところが好きなのだ、馬鹿は、、、、、

11時40分に西穂独標(2701m)着、狭い頂は登山者で一杯だ。西穂高口のロープウェイ下りの最終時刻は4時20分、頑張れば何とか西穂高岳まで行って来れる時間だ。読者のことだから、きっとあの馬鹿は行ったに違いないと思っているだろうが、残念ながら馬鹿と煙は高いところが好きなのである。行こうとしたのは事実だが、目の前の登山者の多さに、これは無理と判断し素直に諦めた。登山道がもう少し広ければ何とかなるのだろうが、気の利いたパーティーなどザイルで各々確保しながら歩いている始末だ。それに、ここから西穂高岳2908mまで僅か200mの登りに1時間半掛かると言うことはまあ、半端な登りではないのだろう。ここは素直に諦める。

道はここから西穂高を経て奥穂高岳まで続いている。このルートはこの穂高連峰でもっとも危険で高度な技術の必要なルートだと言うことで、単独もしくは初心者は絶対入ってはいけないと技術書にも書いてあるのだ。僕は諦めて展望を楽しむことにした。
奥穂高岳は、たまに雲の間から顔を出す程度だが、少し標高の低い前穂高岳や明神岳はきれいに見える。転じて俯瞰すると梓川沿いに上高地がクリアに見渡せる。大正池は土砂に埋もれて渇水期には見えないと言うけど、エメラルドグリーンの水溜まりは、この高さから見ると何とか見えた。焼岳も霞沢岳もきれいに見える。前穂の麓の岳沢ヒュッテから前穂高岳に延びる重太郎新道がとても急に見える。この道は槍ガ岳から上高地に縦走するとき下りによく使うルートだ。双眼鏡で見るが登山者は見えない。西穂や前穂の頂には大勢の登山者が見えるのに何故だろうと不思議に思った。西にそびえる笠ヶ岳も、とても大きく有名な山だが、さっきからその頂は雲に隠れて見えない。僕にもう少しの自由な時間と体力が残っていたらきっと登っていただろうが、もしこの先、運良く何かの機会があればと思いながら下山にかかることにした。

独標から西穂高口まで予定では1時間50分、下りは何と言っても得意なのだ。飛ぶように舞うように12時ちょうどに下山開始、ごろごろとした浮き石や、スパッと切れ落ちた稜線を蝶のように舞いながら駆け下り、2時過ぎには駐車場から車を出していた。そう、こんな人の多いところは早く逃げ出したほうが勝ちだ。

下りのロープウェイで、やっと憧れの槍ガ岳が、ほんの僅かの間その勇姿を僕たちに見せてくれた。彼は、いつかまた必ず来いと僕を誘っているかのように悠然とその姿を雲の中に隠した。でも、そんなことは絶対出来ないだろうという気持ちと、絶対登りたい、という相反する気持ちが僕の頭の中をよぎった。

これでやっと今回の山の旅は予定終了と言うことだが、一応、当初の目的は全て達した事になる訳だが、やっぱり何か物足りなさを覚えるのであった。絶対的な満足感が足りないのだ。

え、贅沢だって?




エピローグ


帰ってから暫く何もしないで過ごす時間が多くなった。体がやはり相当疲れていたのだろうか。プールで泳いでも肺が痛いような苦しみに襲われ、長く泳げなかった。手足や顔も少しむくんだような感じで、人前に出るのが憚られた。
こういう個人的な遊びは、様々な人に間接的にしろ迷惑を掛けているのだろうと思うと、何となく後味の悪い後ろめたさを覚える。大体にして、こんな文章を強制的に読ませられる人だっていい迷惑なのだろう。やはり文章というのは短く簡潔に思ったことを伝えればいいのだから、こういう長文(本人はあまり長い文章だとは思っていないのだが)は、もう書かない方が良いのだろう。反省している。

ある意味で今回の旅は、とても個人的意味合いの強いものであり、自分の中で『一つの区切りの旅』として、とらえていたのだが、、、、、

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