【尾瀬珍道中】その1

【日 程】1997年7月20日(日)
【山 域】尾瀬
【山 名】尾瀬ヶ原
【天 候】晴れ
【メンバ】二人
【コース】御池→三条の滝→尾瀬ヶ原→尾瀬沼→沼山峠→御池
(概 略)



御池(4:05)---(4:30)上田代---(6:05)三条の滝---(6:55)平滑の滝---(7:09)温泉小屋---(8:00)東電小屋---(8:18)ヨッピ橋---(8:50)竜宮小屋(9:05)---(9:30)弥四郎小屋(10:35)---(12:10)沼尻休憩所(12:25)---(13:15)長蔵小屋---(14:00)沼山峠(16:00)---(16:30)御池


第1章 憧れの尾瀬ヶ原


前日に長距離ドライブで御池入りしたのが午前1時過ぎ車中で仮眠する。
半分寝ぼけ眼の僕らは旅の準備を始めた。旅という表現を使うことは妥当かどうか判断に苦しむところだけど、自身の足で未知の領域へ踏み込むことを考えれば、決して間違った表現ではないと思う。スケジュール表では5時に出発となっているが、あくまでもこれは最も遅い行動パターンであり、帰りのバスの最終が午後5時となっているのだから、時間に縛られたくないと言うのも無理な話、それでも結果的に当初のスケジュール表通りとなってしまったのだけど、それは後からゆっくりと書くとして、僕らは何度も装備をチェックし、忘れ物がないか確認し車を後にした。

まだ夜は明けきらず辺りは闇が支配していた。それでも明かりなしに行動できるのは木道が完全に整備されているからであり、多分夜でも行動できるであろう。
去年、燧ヶ岳に向かったルートに別れを告げると、道は緩やかな勾配で上っている。田代坂を登り切るとすぐに上田代、手元の高度計を見ると標高1650m、思いのほか高い標高にびっくりするが、辺りは高い灌木が密生しており、そこだけぽつんと隔離されたような草原になっている。

いろんな高山植物が目に付くが、一面の幌向草(ホロムイソウ)が薄暗い夜の明け切らぬ草原にびっしり生えている。所々にワタスゲの白い綿帽子が白く浮かび上がってくる。ここから兎田代までは鬱蒼たるブナ林の中をひたすら歩くのみ、標準的なコースタイムは2時間20分程、僕らは早朝のひんやりしたブナ林の中を軽快にピッチをあげ進んでいった。途中渋沢温泉小屋への道と別れ、大雨が降ると土石流が頻発するという渋沢を渡り、兎田代に到着したのは5時30分、およそ1時間半で到着したわけだ。去年の燧ヶ岳の上り下りで散々な目にあった相棒は、途中から遅れだし未だ影も見えない、まあそのうちに来るだろうとタカをくくりしばらく待つ。ここから道を左に取れば段吉新道となり温泉小屋へ至る。僕らはここからしばらく下り、有名な三条の滝を見ることにしていた。ふと視線を上げると相棒がヨタヨタと近づいてくるのが見えた。先を急ごう。まだまだ先は長い。

5万分の1の地形図では、たいした下りのように見えなかったのだが、なかなかハードな坂道を下ること30分、道は三叉路になっており右に行けば目指す三条の滝、左に行けば平滑ノ滝、相棒はまたまた来ないし、滝の音はゴオゴオとすざまじい音を上げている。待ちきれなくて先に進むと目の前に勇壮な三条の滝がその姿を現した。
噂に違わぬ壮大で威厳のある滝である。手にしたカメラも忘れ暫く見とれる。

展望台の端が壊れているらしくロープが幾重にも張られている。最近観光客が落下する事故があったらしい。この滝は尾瀬ヶ原のすべての水がここに集まり下流に流れ落ちていくと言う。まあ水量があって当たり前なのだが、僕は生まれて初めてこんな水量の多い滝を見た。いつの間にか相棒も到着していたらしくポケッとした顔で眺めている。

この下流に只見湖があり小出の町へと繋がっている。只見湖というのは広大な人造湖、つまりダム湖である。昔の人は偉いものである。こんなに水量のある川をせき止めることを考えつくなんてね、、、、、僕らは名残惜しいけど先に進むことにした。

ここから平滑ノ滝まで30分、元湯山荘まで50分、少々登りの道が続く、この時間帯になると、近くの小屋に昨日から泊まっていたのであろう観光客が、空身で滝を見物にぞろぞろと行列を作り行き交う。初めのうちはお互い気分がいいので「こんにちは」とか「おはようございます」と挨拶を交わしていたが、日が高くなるに従い、その数は急激に増し人の顔を見るのに疲れてくる。

僕らは一般の観光客とは正反対のコースを回っている。人々が右回りするのを当然と思っているならば、僕らは左回りする。プランニングした人の人間性というか性格が解りそうだけど、他ならぬ僕がその張本人だ。Tシャツの袖を肩までまくりあげ、頭には捻り鉢巻といういつものスタイルで歩いていると、後ろで相棒が「お前、がら悪いぞ」と非難の声、見ると迷惑そうな顔で従っている。つまり、そんなコース取りをしているから、他の人達よりも挨拶をする回数が非常に多いと言うことである。これにはさすがの僕も辟易した。何分相手は好意のつもりで挨拶してるのに、こちらはだんだんムスッとしてくる。最後には声も出せない状態となり、人の顔を見るのも嫌になった。

 出発した頃の静寂な表情の尾瀬とはうって変わり、賑やかな喧噪が渦巻くそこいらの雑踏と大差ない雰囲気になってきたが、人が集中しているところは殆ど山小屋の回りである。気がつくと元湯山荘の休憩所に到着していた。ここからは平坦な湿原が続く念願の尾瀬ヶ原に入る。僕らはここで一息入れることにした。
売店には冷たい水が引かれ、コーラやビールが冷やされている。相棒は早速ビールに手が伸びたが、まだ時間は朝の7時過ぎ、手の先のビールをコーラに差し替え渇いたのどに流し込む。残念そうな彼の顔に、想像以上の怨念が隠されていることに僕は気がつかなかった。

尾瀬ヶ原は群馬、新潟、福島の三県の県境が複雑に交差するところ、僕らが今いるところは福島県、ここから東電小屋を目指して暫く進み、只見川の源流に掛かる尾瀬ヶ原橋を渡ると新潟県、ヨッピ橋を渡り尾瀬ヶ原を横断し竜宮小屋に行くと、またしても福島県に入ると言った具合で、何がなんだかわからなくなる。そんな訳で僕らは東電小屋の人混みを避け、冷えたビールを横目で羨ましげに見入る相棒の手綱を引っ張り、憧れの尾瀬ヶ原へと向かうのである。

ヨッピ橋を渡ると竜宮十字路までは一面の湿原、本州最大の湿原と言うだけあって相当広いものです。人間が蟻のように木道を規則正しく並んで進んでいる。緑の絨毯の中には黄金色のニッコウキスゲが群落を作っていて、人々の目を潤してくれ、遠くに、いや、すぐそこと言ってはあまりにも規模が大きく、手が届きそうもないけど(実際の距離はそんなでもないのだが)至仏山のなだらかな山様が、ぼんやりと霞んで柔らかな緑色に染まり、ドンとそびえており、タケカンバの白い樹皮と緑まばゆい葉のコントラストが不思議な世界を演出してくれる。そうここは、竜宮城なのかも知れません。

竜宮十字路にはカメラを構えた人達が、一定方向にレンズを向けたむろしている。行き交うハイカーは互いに気軽に挨拶しています。さすがに日本を代表する景勝地、インターナショナルな言葉が飛び交っている。でも皆一様に穏やかな目つきをしていて、ここには紛争の種となりうる物体も、概念も存在しないように思えてくるから不思議だ。傍らの相棒に視線を移すと、なんと言うことか、いったい何処から仕入れてきたのか、缶ビールを片手に真っ赤な顔をして行き交う美女に視線を固定している。彼にしてみればもう我慢の限界だったのだろう。彼の心情を思いやると特別責めることも出来ないので、僕も竜宮小屋の売店からビールを買って一杯やることにした。時間はまだ午前8時50分、十分すぎるほど時間には余裕がある。

それにしてもすごい人の数である。時折荷揚げのためかヘリコプターが爆音をたてて飛び交うが、なかなか感じの良いところだ。見ると相棒は2本目のビールに取りかかる様子、まあここではそんなに危険もないし、酔っぱらって暴れでもしない限り他人に迷惑はかけないだろう。しかし、禁煙という看板を無視して一服している喫煙者の多さには呆れる。多分諸外国では考えられないことなのだろうが、日本人の公共マナーの低さを伺わせる光景でもある。
 ご多分に漏れず、我が相棒もプカプカやってる次第ですが、まあ喫煙者には彼らなりの言い分があるのでしょう。と、一人ぼやく昔の喫煙者の姿があったとさ、、、、、

一息入れた僕らはここから見晴地区へ向かった。約30分の道のりである。途中、湿原の中を流れる小川に何かを探す人がいた。何があるのかのぞき込むと、イワナがいるとのこと、よく見ると確かに数匹魚影が見える。
「ああ、針と糸を持ってくれば良かった」と冗談を言うと、その人達は不機嫌な顔をして僕のことを睨んだ。僕らは恐れを抱き、すごすごと逃げ出さざるを得ません。まったく冗談も通じない人達である。こういうところが日本人の悪いところなのでしょう。もっとも、こっちもビール臭い息を吐きながらの冗談でしたがね、、、、、

見晴地区は6軒の山小屋が集中しており、キャンプ場もあって尾瀬沼と尾瀬ヶ原の境とも申しましょうか、正確には尾瀬ヶ原の湿原の付け根にあり、尾瀬沼はここから白砂峠を越えて徒歩で約2時間先にある。
 一般のハイカーは御池から沼山峠までバスで入り、尾瀬沼沿いに畔を歩いて白砂峠を越えてここにやって来る。僕らは本当に普通の人達とは反対のコースを歩いている。それが証拠に、ここから尾瀬沼に向かって歩いていても同じ方向には誰も向かわなかったけど、行き交う人達の多さは半端じゃなかった。

ここで時間は9時半、ちょっと一般的には早いようだが昼食と致しましょう。いや、正確にはブランチとでも申すのでしょうが、早い話が腹が減って動けない有様なのだ。さっきのビールが効いたのか僕はトイレに向かうと、相棒はその間にビールを買ってまたやっている始末、いい加減にしろと言おうとしてやめた。と言うのは、彼が飲んでいるのは缶ビールなどというまやかしものではなくて、驚くなかれ、ちゃんとしたジョッキに入った生ビールなのだ。思わず生唾がこみ上げ、本能的に売店に走っている僕がそこにあった。こんな山の中で冷たい生ビールが飲めるなんて何という贅沢だろう。自然保護などと力んでる必要はまったくなく、僕は山小屋の誠意あふれる好意にデレーッと甘えることにした。

僕らが腰を落ち着けたのは、弥四郎小屋と言う山小屋の前にある、木製のベンチとテーブルが並ぶ休憩所、ここでたくさんのハイカー達と一緒に休憩と食事をとる。早々、チキンラーメンを取り出し、弥四郎清水という冷たい泉から水をくみコンロにかける。こんな時間に昼食を取っているのは僕らだけで、周囲の視線を感じながらの食事とビール呑みが続く。しかし酔っぱらえばこちらのもので、声高にまくし立てる相棒の姿に一縷の不安を覚えるのであった。

この時間帯になると太陽もかなり熱い輝きを増し、僕らにとってはひたすら「暑い」の一言。当然ビールが進む。酔いが回り食事がすむとやってくるのは睡魔と相場は決まっており、僕らはここでしばしのお休み、考えてみれば夕べは殆ど寝てない、眠いのは当たり前だ。僕らは仲良く強烈な直射日光に大汗をかきながら爆睡する。
およそ1時間の昼寝から目覚めた僕は、隣で高鼾の相棒を揺すり起こし出発の準備を促すと、冷たい泉で渇きを癒します。ビールも確かに美味しいけどやっぱり喉を潤すには冷たい水に限る。

この国には未だこのような冷たい泉が無数にある。普段気付かないけど、こんな風に水道のないところに来ると改めて水の有り難さに気付かされる。しかしそんなことなど関係ない人も僕の回りにはいるようだが、、、、
 何だかんだゆっくりはしたものの、ここから終点の沼山峠まではまだ二つの峠を越えなければいけない。峠と言っても、どの程度の規模のアップダウンかは、このときの僕には予想もつかなかったけど、地図を眺めると約4時間は掛かりそうだ。と言うことは、今が10時半だから、直行しても午後2時半、それからバスに乗り御池に到着するのは3時と言うことになる。僕らは準備を急いですぐに出発した。

酔っぱらった勢いで、ゆっくり構えていると最終バスになってしまう。何が怖いかって、最終バスにはたくさんの人達が集中することが予測できる。と言うことは当然混むのだ。もう人混みは勘弁していただきたい心境の僕にとって、最後まで人混みの中に身を置くことは、「死ね」と言うことに等しい意味を持っている。相棒にはそんな気持ちが理解できないのか、さっきから「のたらくた」といっこうにピッチが上がらない。それどころか未だ千鳥足の状態でありまして困ったものである。一体何しにここまで来たのやら、それでも渋る相棒を何とか促し白砂峠まで辿り着いたのがちょうど12時、この頃にはやっと相棒の酔いも醒め、這々の体で辿り着いたのが沼尻休憩所、ここで一旦休憩を取る。

ここから尾瀬沼の湖畔を長蔵小屋まで歩くわけだが、正直言ってこんな道は二度と歩きたくない。木道は壊れおまけにひどいぬかるみ、さっきの休憩所で若い女の子が片足をひどく汚してやって来たのが十分理解できる。山屋の僕でさえ、ちょっと敬遠したくなるようなルートである。しかし何だかんだ言っても歩けばいつかは目的地に着くものですな。

浅沼湿原に到着してみると、とても深い小川に橋が架かっていた。小川を覗き込むと巨大なニジマスが悠々と泳いでいる。「おうい雲や」じゃないですが、思わず声をかけたくなるようなニジマスである。これだけ人がいるのに逃げないと言うことは、誰も捕まえようとしないと言うことだろう。相棒にそう言うと「ここは国立公園の中だ」とのこと、それじゃあ国立公園の中は何処も釣りはいけないのかと言う話になって、そんなことはないと言う結論になった。だって朝日連峰やその他の渓谷は、いくら国立公園でも釣りはしているし、日光などの様にそれを観光の目玉にしているところまであるしね、、、等と下らないことを話しながら歩いていて、もうすぐ長蔵小屋だなと思いふと顔を上げると

「???????ガアーン」何だこれは、、、僕はこの世の終わりを目にした。思い出すのもおぞましい、なんとそこには、この世のものとも思えぬカラフルな人の行列が、それも行列なんて言葉で処理できない、言うなれば人による交通渋滞が発生しているのであった。


   
              驚嘆の大渋滞 ただ笑うしかない・・・


この道は沼田街道と申しまして、沼山峠休憩所から、長蔵小屋のある尾瀬沼東岸まで大江湿原を縦断している。行程約1時間の道のりに、木道が二本、鉄道のように平行に所々カーブして敷かれている。
まあ、ハイカーにはいろんなタイプの人がいて、それが時には良い方向へと導かれることもあれば、悪しき方向へと向かうこともある。それはそれで仕方のないことなのだけど、今回僕は正直閉口した。

一方通行の木道を、上は70代の老人から、下は今生まれたばかりで歩けない赤ん坊まで一緒に歩くのだから、ペースが合わないのは当然である。それにしてもこんな渋滞は見たことがない。だがいつまで眺めていても始まらないので、僕らは諦めて行列に従った。本当にいつまで見ていても状況が好転するとは思えなかった。

初めは皆一様に行列に従っていたが、そこは競争社会に生きる日本人、一人追い抜き二人追い抜き、そのうちに公道レースさながらの、ドリフト族のような目に余る強引な追い越しを行うものまで出てくる始末、初めは「こんな所迄来て何をそんなに慌てるのか、この馬鹿者ども」という目で見ていた僕らも、最後には先頭集団を競そうレーサーへと変貌していったのである。
しかし、そんな競争意識なんて何の意味もないことだということに気付かされるのはこの後のことである。


          その2へ続く

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