10. 雑感(山岳信仰について)




話が登山から逸脱してとんでもない方向に進んでいるのは、筆者の支離滅裂な性格上致し方ないものと思って諦めて頂きたい。
山に行って少し気分転換すれば、まともな方を向くのかも知れないが当分無理なのだ。


修験道の話の途中であったが少し整理しよう。
山伏とは山中に籠もり修行し特殊な験力を会得する。その験力を持ってして衆徒を幸福に導く存在なのだ。明治期の修験道廃止令や神仏分離令までは仏教色が強く、薬師如来などの仏様を本尊としていたが、国家規模での介入により多くの修験道は廃れたり神道に強制的に移行させられた。

山伏は清僧と妻帯に大別され、清僧山伏は山中に籠もり生涯妻帯せず、三度の食事も精進料理のみ、肉や魚、果ては卵まで決して口にしない厳しい戒律の下で修行したと言われている。
蕨岡三十三坊のように麓に山伏集落を形成し、修験者と称していた者達が、妻帯山伏なのだと私は考える。彼らは修験道を生活基盤とし、代々受け継いで坊を守り、霞と呼ばれる檀家をもって経済的に成り立っていた。誤解を恐れずに申せば未来に訪れるであろう「幸福」という概念をある意味看板商品として商いをしていたのだ。

現在の宗教や信仰においてそれらの概念はより顕在化している。あるいは意識的に神秘的な要素を脚色する組織も見受けられる。それらを全部否定するつもりは毛頭ないが、無神論者を自負する自分には、語る資格もないことではあるが、最近感じていることを少し書いてみようと思う。(興味のない読者は飛ばして下さい)



五穀豊穣、家内安全、身体堅固、etc、今も昔も幸せを願う人々の思いは変わることがない。裏を返せば、それらの願いとは逆に不幸が常に身近に迫っていると人々は本能的に感じ恐れているのだ。究極の不幸の概念が死であることに異論を唱える者は少数であろうが、誰でもこの世に生まれ落ちた瞬間から、いつの日にか必ず訪れる死は絶対的宿命である。
多くの人々は死を常に恐れ忌み嫌うが例外もある。

極端な例であろうが庄内には即身仏と言われる仏様が今も残っている。これは衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの意志でミイラとなった行者ことである。踊り念仏で有名な時宗の一遍上人も「我が屍は野にうち捨てよ」と常々弟子達に語っていたらしい。
悟りを開いた宗教人とは別に、現代では自らの意志で死を選ぶ人も少なからず存在し、時には社会現象としてマスコミを賑わすこともある。
現在この国で自らの手で命を絶つ人達は年間3万人にものぼる。これは明らかに異常なことだと思う。

季節の変わり目も影響してか、最近私の周辺でも死者との対面が少なからずあった。それらは身近な存在のこともあり、そうでない場合もあったが、中年と言われるまで生きていると、私に限ったことでは無いだろうが、否応なく死と向き合う機会が増えるものである。それらは頭で分かっていても実に悲しいことなのだが…

現代医学の発達によりこの国の平均寿命は伸び続けている。考え方にもよるが医学は神に近づいていると言ったら語弊があろのだろうが、一旦三途の川まで行った人が帰ってきたと言う話はいっぱいある。けれども生きた屍も医学という神は創ったのだ。これは果たして幸せなことなのだろうかと言う疑問を個人的には捨てきれない。

無神論者を自負する者にとって死とは絶対である。個人の肉体が滅べば意志も消滅すると言うのは理屈ではわかる。けれども思想は別の肉体へと引き継がれる場合もある。これは死者から生者への伝承行為とでも呼ぶのだろうか。私には霊感など備わっていないのだが、死者の顔や姿を目の前にすると少しだけ死者の思想を感じ取ることが出来ることもたまにある。それはうまく言葉に出来ないが、明確なメッセージとして語りかけて来る。生前の行いなど良く知らぬ人にでも起こる場合があるし、逆にすごく親しい人の死に際して何も感じないこともある。

今この瞬間にも地上では無数の生と死が存在し共存する。巨大な時空の流れの中でそれは必然であり偶然でもある。それらの中に身を置く一人の人間として私は謙虚でありたいと常々思っている。けれども私を含めた人間には欲望がある。本能としての欲望は全ての生き物に存在するが、節度のない欲望を満たすことが出来るのは、ある意味人間社会だけであろう。そして欲望とは良くも悪しくも際限がないものである。一旦欲しいと思ったものは、なかなか諦められないことでもわかる。

では欲望とはなんぞや?と問われれば、物質的なものと精神的ものに大別されるように思う。欲しいと思うことは決して悪いことではない。それらが結果的に現代文明の発達に寄与したことは明白だ。しかしながら全ての欲望を肯定することには、多くの矛盾があり歴史が証明してきた。戦後のこの国の発展に寄与した多くの先人達が目標を持ち汗水垂らし頑張って来れたのは、自分たちが働けば確実に好転するという裏付けがあったからであろう。働けば働くほどに…

ここに記述したものは全てに於いて表象的次元の域を出るものではない。つまり物事の入口を棒切れでかき回して中身が見えなくなった泥水のようなものなのだ。厳密な調査を行うには、物事の本質に体ごとぶつかって行かなければ見えてこないことは、百も承知しているつもりだ。私がささやかなれど現在まで、この矛盾に満ちた世界で生きてこれたことは、そのことを否応なく十分教えてくれるものだった。けれども逆のことも言える。

世の中には、そんなことを考えなくても、生きていく上では何にも支障が無い。と言うこともある意味事実なのである。
そう、この世は実に矛盾に満ちた世界なのだ。
だからこそ人々には物事の考え方の規範が必要になる。いや必要なのだ。
それらは実に様々な有形無形のものがあり、素朴なものがあり、高度にシステム化されたものもある。

現代の人間はある意味国家により庇護された空間で生活しており、人命尊重の概念が生まれ、全ての国民は皆平等であると信じられている。(建前ですが…)でもそんな事を言い始めたのは、この国ではごく最近のことであり、民の命など虫けらのように扱われた時代が長く続いたのも事実、戦国時代などは人を欺くのは当たり前、権力者は自分の保身のために民はもちろん、肉親まで利用した。

人を欺き殺戮するのは当たり前、利用できるものは庭の石ころまで利用し、唯一信じられるのは己だけ、家臣が領主を殺してのし上がるのは恥でも何でもなかった。
勝てば官軍、負けたら終わり、ルールなど存在せぬサドンデスの原始的世界…
それでも人間は生き続けてきた。雑草のように逞しく自分の子孫を代々残してきたのだ。
それは生物の本能に依存する度合いが高かったからだろうか。いやいや、良くも悪くも集団社会を形成することが習性の人間だからこそ、現在まで人間の遺伝子は地球上に残ったのだ。

孤独な人間は少なからず存在する。けれども無人島で生涯一人っきりで過ごした人なんてそんなにいないと思う。孤独な人間にも規範は必要だろう。いやいや規範と言うより規準だ。現代でも過去でも人間社会には必要なものなのだ。それは自己を正当化する手段でもあるし、他人を攻撃する根拠にもなる。そして決まった解釈が存在しないものでもある。権力者にはどのようにでも好き勝手に取れるものでもある。それは過去の独裁者等を考えれば明白だ。

今も昔も人々が神仏を尊び敬うことはある意味普遍的なことだとすれば、信仰の本質が見えてくるように感じるが、そう言う意味において人々の安寧を願うことは、人間の素朴な感情で今も昔も変わらないものだと思うし、一番大事なことだということを忘れてはいけないと思う。それを蔑ろにした信仰は信仰とは呼べないしいずれ崩壊する。
歴史を紐解いてよく観察すると事例は単純だが現代のものと基本的に同一なカテゴリーに属する問題は数限りなくある。先人の遺してくれた貴重な教えを現代に生きる我々はいかに活用できるか、個人や組織と言った概念にとらわれない普遍的な規範、それは基本的に未来永劫変わることのない真理なのだ。

とかく日本人はファジーなものを好むと言われているしファジーなまま物事を先送りしようとする。でもそれは間違いで、いつかは必ず解決しなければ先に進まないことを皆、言葉には出さないが理解している。裁判でも個人の喧嘩でもコミュニティーのトラブルでも、いつかは結論を出さなくてはいけないし実際出している。日本の刑法では「疑わしきは罰せず」と言う大前提があるが、この国の国民はファジーなことが大好きなので解釈は曖昧模糊としている。

今この国では憲法という国家の規範の解釈で揺れている。時間と共に国家の規範が変化することを否定する気はないが、人々の生きる規範はそんなに変わるはずはない。組織でも個人でもやって良いことと悪いこと、基本的にこの二つの規範が一番重要で変わってはいけない物なのだと思う。そう言う意味に於いて山岳信仰などは民間伝承として今に伝わるわけだが、当時の仕来りや規範も伝わっているに違いなく、観光資源としての例祭ではなく教義を紐解く機会を作って貰いたいし非常に興味のある世界だ。

戸川安章氏の著書には、蕨岡の一山は学頭も衆徒も全て妻帯、世襲の修験者と記されている。また峰入とは順峰と逆峰があり、順峰は天台宗の山伏、逆峰は真言宗の修験者が行ずるとある。順峰は初心者のために修験道のイロハから研修させようとするもの、逆峰は修業の完成したものが、これまでの修業によって得た成果を人々に伝えて広く衆生を救済するために、その手立てを研究しようとして暫く山中に籠もり、自分の修業時代を反省し迷えるものが何かを求め、何を欲しているかを迷えるものの立場に立って考えようとすることから下化衆生の峰と言われていると記されている。

山伏が神仏に捧げる長文の賛歌を祭文と言いこれが民間芸能化してデロレン祭文となり、浪曲、義太夫となった。彼らが道場で演じた法楽が延年であり、これから山伏神楽や番楽が生まれ、田楽と習合し洗練されたものが能となった。

どうだろう、山岳信仰とはこの如く尊いものなのだ。そして一番大事なことを教えてくれるものなのだと思う。その思想は現代にも十分相通ずるものがあると考えるのは私だけだろうか。
しかし残念ながら山岳信仰は廃れた。







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