1. はじめに


山から離れて久しい自分に一体何か出来ることがあるのか。それを探す今日この頃である。平日の日中は業務であちこち車で移動することが多いのだが、最近は不思議なことに鳥海の麓をうろつく日が続いている。
正月を境に2010年は猛吹雪で始まったのだが、何の因果か正月から業務で秋田と山形の県境付近にいた。冬特有の日本海の荒波が打ち付ける岩礁から、白い泡(波の花とも言う)が強い季節風に煽られ浮遊する様をじっと見ていたら、一緒に鳥海の峰まで飛んで行きたくなった。

山屋の性なのか、山に行けないほど山が恋しくて恋しくてたまらない。もう未来永劫行けないのかもと言う恐ろしい妄想が、どこからともなく浮かんでくる。普段は無神論者とうそぶく自分が、山の神様に必死に手を合わせている滑稽さは、山をやらない人にはただのうつけ者にしか見えないだろう。
実際そうなのだが…

ある日、業務で移動中に葉の付いたミカンがゴロゴロと国道端に落ちていた。お正月の縁起物を片付けている最中に落としていったのだろうか。
幼い頃、自分を含めた悪ガキどもは、道端に何か落ちてないかと目を皿のようにして歩くのが常であったが、今の世にはそんな子供なんていないんだろうが、幼き日の悪習が今も自分の体に残っていることを自覚した光景であった。改めて考えるまでもなく山道を歩いている自分がそれを如実に物語っているのだが…


2009年の山行は数は少ないものの充実したものであった。とりわけ憧れの弁慶山に登れたことは終生忘れることが出来ない思い出である。そしてこの山域の原始の姿に心奪われてしまった哀れな中年がこの私である。注連石(すみいし)や、鬼のカケハシ等の山行も心躍る興味深いものであった。それらのものを含め弁慶山地に関する書籍や山行記などはほとんど見あたらないのが現実であり妄想は無限に広がる。そしてこの山域の山岳信仰も興味の対象となった。


弁慶山地には如何せん夏道は存在せず、藪漕ぎに費やす労力を考えると二の足を踏む哀れな中年には悲しくなるほど遠い山域でもある。さりとて放置するにはあまりにも魅力的で、浅学非才の身でありながら興味は尽きず色々な文献を探してはみたが、素人には難しく無理というもの。それでも犬も歩けば棒に当たる、ほんの少しではあるが解ったこともある。

ここに記すものは考証等の学術的ものでは決してなく、素人の遊びの範疇を出る物ではないただの妄想である。筆者の勝手な思い込みや空想やも多々あり、信憑性なんてものは欠片もないものではあるが、ゆっくりと書き進めて行きたいと考えている。
そして何より私は、飽きっぽく支離滅裂な性格ゆえ途中で頓挫することも十分あり得る。そこの所は寛大なるお心で傍観していただきたい。


                                 2010年正月



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