アフラートゥス木管五重奏団
2006.09.28(Thu) 響ホールにて
メンバー ロマン・ノヴォトニー(フルート) ヤナ・ブロジュコヴァー(オーボエ) ヴァイチェフ・ニードゥル(クラリネット) オンドジェイ・ロスコヴェッツ(ファゴット) ラデク・バボラーク(ホルン) |
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モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番変ロ長調 K.589 (トーマス・ウィドラー編曲による管楽五重奏版) ハイドン:ディヴェルティメント変ロ長調 フェルステル:木管五重奏曲 ニ長調 op95 モーツァルト:オペラ「フィガロの結婚」KV492 序曲 ドヴォルザーク:木管五重奏曲ヘ長調op96「アメリカ」 |
Afflatus とは「神の息吹」と言う意味、
パンフレットの扉にある彼等の言葉を引用する。
「われわれの音楽は、
5つの異なる音への理想、
5つの音楽的個性の交差点なのだ」
楽器は人の声の模倣と言う言葉は良く耳にする。木管楽器も高音から低音まで5つの楽器でカバーしているのだろう。各パートの音はオーケストラのような大所帯の中から聞き分けるのと違い、それほど苦労しなくとも十分聞き取れる。が、逆説的な言い方をすれば、アンサンブルの中で極端にある音だけが明瞭に聞こえるというのは演奏する側からすれば不本意なことなのだろう。
客席から見ての楽器の配置は半円形的に5人が並ぶ。向かって左からフルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネット、ホルンが中央だ。
聴き終わって数日経つが、未だ不思議な余韻に浸っている。この感覚は何なんだろうとずっと無意識に考えていた。
オープニングはさすがに少し緊張気味か?でも、第二楽章に入ってからは本来の調子を取り戻したようだ。弦楽器が入ってる曲に慣れた私の耳に最初違和感が少しあったのも事実だが、段々そのシンプルな演奏に引き込まれていく。
中央でホルンのバボラークがアイコンタクトで全員を上手くまとめているのが良くわかる。そしてそのホルンの音が本当に素晴らしい。楽器の性格上低音主体の演奏になるのだが(そうは言っても高音域のフルートなどの音は飛び抜けているが・・・)何故かバボラークのホルンが入ると、全体の音が山上の霧がパッと晴れたかのように不思議と一つにまとまるような感じがした。
メンバーのほとんどはチェコフィルの現役メンバー、経歴をここで記すことは避けるが、ホルンのバボラークだけは特別、言わずと知れたベルリンフィルの首席奏者で、世界でも最高の評価を得ている。響ホールでは過去に3回公演を行っていて、日本でやる時は響ホールでやると公言しているらしい。当然今回の公演も向こうからのオファーだったと言う話を耳にした。
全国8箇所の公演の内、大都市を除いての地方公演は数カ所、その中に庄内町の響ホールが入っていると言うことは、いかに彼等がこのホールを気に入っているかがわかるというもの。
このクインテットの結成は1995年と言うから10年以上もやっている事になる、メンバーそれぞれ所属するオケでは主要なパートを受け持ち重責を担いながらも、それ以外にこれだけの仕事が出来るのは素晴らしい事であると思う。
彼等の演奏に次第に引き込まれ音楽の素晴らしさに共感を得たこの日の聴衆はカーテンコールの拍手を惜しまなかった。
二曲のアンコールは彼等なりの最大の返礼と受け取った。
久々同行の友人もホルンという楽器のイメージが変わったと言っていた。
世の中で芸術と呼ばれるものの中に音楽も当然含まれるが、音楽の中でも作曲する人と演奏する人がいる。そのどちらも芸術家には違いないが、先日目にしたあるコラムの一文が妙に心に残っている。
華道家の祖母に、まだ幼いませた孫が、おばあさんにとって芸術とは何ぞやと問うたそうである。すると祖母は考える間もなく「芸術とは真心よ」と即答したそうな・・・
人それぞれ芸術に関しては色々な考えや想いを持っているだろうが、これほどシンプルで的を射た表現は無いと思う。
素晴らしい芸術に出会ったとき、そこに真心を無意識に感じていた自分に気付いた瞬間でもあった。