山響創立40周年記念 東日本大震災復興祈念
〜山響・仙台フィル合同演奏会〜
    第222回 定期演奏会
      

2012年7月19日(木) 山形市民会館
指 揮:飯森範親
ソプラノ:平井香織
アルト:加納悦子
共演:仙台フィルハーモニー管弦楽団
合唱:山響アマデウスコア/仙台宗教音楽合唱団
コンサートマスター:高木和弘



マーラー: 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」



今シーズン(2012〜2013年)の一大イベントである仙台フィルとの合同演奏会は、震災の復興を祈念するものだ。この壮大な楽曲を山響単独で演奏するには相当な客演を要するし、あまり意味のあることでもないような気がする。しかし今回の合同演奏会は相当感慨深いものがある。
春に美里町で聴いた第九や、定期演奏会でのプレコンサート等も含めて、山響の震災復興に対する熱い想いには頭が下がる。

マーラーの作品のほとんどはオケの編成が大きくなるから、山形ではめったに聞けない。私が過去に聞いたシンフォニーは、酒田希望ホールでの4番と、山形市民会館での1番のみ、4番は山響単独だったが、1番はWPRとの合同演奏会(当時WPRのコンマスは高木さん)、すべて指揮は飯森さんだ。
世のマーラー好きは、この作品を聴いてはまった人が多いのではなかろうか。


 
市民会館のステージ   と   山響FCが作ったメンバー表

マーラーがこの曲を完成させたのが1894年ハンブルクの市立劇場の楽長時代こと、しかし1891年には全5楽章のうち4楽章までは完成していたそうで、5楽章の完成までにその後まる3年を擁したと言われている。そこには凡人には思い至らぬ葛藤がいろいろあったのだろうが、逆に考えると第5楽章こそがこの作品の本質だといえるのかもしれない。

先日のモーツアルト定期−16の交流会で、ゼネラルマネージャーの佐藤裕司氏が、この作品はスコアに記載されているだけでもオケで100人を優に超え、合唱団も加えると二百数十人が舞台に上がると話していた。
もちろん山形では初演だろうし、東北においても希なことで、飯森さんの話では盛岡で一度だけ振ったそうだが、違うプロオケが合同で演奏することはまずもってないそうで、これも両オケの復興にかける熱意から実現した企画だという。

チケットは事前にすべてソールドアウト、満員の会場にはテレビカメラが何台も入っており、ステージにもずらりとマイクロフォンが並んでいる。この日の公演と翌日の仙台公演は収録され、後日TVで放映されるとのこと。また日経チャンネルのHPでも配信もされるそうだ。飯森さんのプレトークが始まる頃には期待と熱気でホールが熱い。

第1楽章のテーマは「葬礼」、コントラバスの低い響きから始りObが続く。Vlnが入り大シンバルが賑やかに響き渡ると巨大オケの迫力に身震いする。実に見事な出だしだ。
死者への追悼の思念渦巻く世界は時に荒々しく、また流麗に洗練された美の世界と共にすごいインパクトをもって聴衆を魅了し引きつけていく。
死者が生きている間の業を表すのであろうか、それぞれのフレーズには既視感のような不思議さを感じ、いろいろな想いが交錯し心が疼く、これは人間独特の死者へ対する感覚なのだろうか。

スコアには、第1楽章が終わったら5分以上休憩しなさいと書かれているそうな…

第2楽章は「追憶」の章、優しく軽やかにに始まる。
リズミカルな弦楽器の中で、FlやObの音が純粋で澄んだ音色を響かせる。我が人生も、こんな風に穏やかで淀みなく過ごせれば良いのになあ…などと殊勝なことを考えながら聴く。
それでも時に威厳に満ちた音も鳴り響き波乱の気配が少し漂うと、また癒されるようなピチカートの優しい音に会場が包まれる。各パートのトップの独奏がリレーされ、穏やかな微睡みから永遠の眠りに落ちるかのように、優しい音色のピチカートで静かにゆっくり終わる。
魂よ永遠なれ!

第3楽章冒頭はTimpの目覚めのような音から始まる。おだやかに流れるようにパートの独奏が続き、現実か夢の中か区別できない演奏が淀みなく流れていく。
突然、現実に引き戻すようなTpがけたたましく響き渡る。実に気持ちの良い音だが、少し違和感を感じるのが不思議だ。パチパチと響くスネアドラムのような音がアクセントをつけ印象的だ。
ここは死後の世界なのだろうか、天国であることを祈ろう…

ここで合唱団とソリストが入場し一気にステージ上は賑やかになる。
この間にオケはチューニングし、指揮者は汗を拭う。

第4楽章は「原光」、歌曲集「子供の魔法の角笛」からとられたものだそうで、アルトの加納さんの美しい声が朗々と会場に響く。ああ、人間の声の美しさよ…
そこには「蘇り」に向かう揺るぎない信念が表現されているようだ。
そして休むことなく怒濤の最終楽章へ…

飯森さんの気合いの入った指揮棒が力強く振り下ろされると雰囲気は一変する。これから繰り広げられる「すさまじい」演奏を予言するかのようだ。
始めは力をため込むかのように、静かに淡々と流れるように…
そして、天上から地上に降りる儀式のような、TpとHrが指揮者を中心にステージと背後から(バンダと言うらしい)響き渡る。この辺は実際の演奏を聴かないとわからないところでもある。

突然雷鳴轟くかのようにTimpがうなり、管楽器の雄叫びが始まり徐々に緊張感が増していく。
巨大な時空のうねりのような大音響が小宇宙と化した会場を包み込む。それはまるで大海原を頼りなく漂う小船の中で、じっと嵐が去るのを待つような感じとでも表現しようか、身じろぎ一つ出来ずに頼りない船に身を任せているような、ある意味恐怖感に似た感覚だ。

やがて嵐が去り暖かな陽光きらめく静かな海が戻ってくる。
小鳥がさえずる気持ちの良い朝の目覚めのようだ。

そして穏やかに合唱が始まり神の声が響く…


蘇る、そうだ、汝はよみがえるだろう、
わがチリの如きもの、しばしの憩いの後には!
不死の生命、
それは汝を呼んだ者が汝に与えるであろう。

再び花咲くために、汝は種蒔かれるであろう。
収穫の主がきたり、
そして穀物の束を集め、
我等、死せる者をとり集める。

おお、信ずるのだ、わが心、おお、信ずるのだ。
汝にとって失われるものは何もない!
汝のもの、汝の、そう、汝のものだ、汝が見たものは、
汝のものだ、汝が愛したもの、汝が戦ったものは!
おお、信ずるのだ。汝は無駄に生まれたのではない!
無駄に愛され、苦しまされたのではない!


生まれたものは、それは消え失せねばならない!
消え去ったものは、蘇る!
おののくことをやめよ!
汝は生きるために心構えよ!
おお、苦しみよ!汝すべてを透徹するものよ!
汝から私は逃れるのだ!
おお、死よ!汝すべてを征服するものよ!
いまや汝は制服されるのだ!
私がかち得た翼もて!
熱き愛のつとめもて、急ぎ去るであろう。
いかなるまなざしも向けられない死にむかって。
私がかち得た翼もて、
急ぎ去るであろう。
生きるために、私は死ぬであろう!
蘇る、そうだ、汝は蘇るだろう、
我が心よ、このいまにして!
汝がうち克ったもの、
それが汝を神のもとに運ぶであろう!


{※第5楽章、菅野浩和訳より引用}


つたない文字で表現出来るものではないし、するつもりもありませんが、一生の思い出となる素晴らしい演奏会でありました。この素晴らしい楽曲を生で聴かせてくれた皆様に思いっきりの拍手を送らせていただきましたが、全然足りない気がしています。暫くはどっぷりとした充足感に浸りながら過ごせそうです。



終演後の交流会にて