【秋吉敏子ソロピアノコンサート】



2010.05.12(水) 響ホール

Piano : 秋吉敏子



私がモダンジャズを盛んに聴いていたのは20代前半、今とは知識も感性も明らかに違っていた頃、若気の至りとは言え生意気盛りの時代である。その頃の自分を含む若者達は、巨大なステレオシステムを自室に組んで(薄給の数ヶ月分にあたる高価な…)高音質あるいは名盤と評価の高いLPレコードをアリのようにせっせと買い集め、自己満足に浸りながら夜な夜な聴いていたものである。スウィングジャーナルなどの専門誌を少々背伸びして購読してもいた。

個人的にはピアノの音が好きでビル・エヴァンスやレッド・ガーランド、オスカー・ピーターソン、トミー・フラナガン、レイ・ブライアントetc…
フィニアス・ニューボーンjrなんて知ってる人は相当マニアックな人だろう。

所謂、バド・パウエルを祖にするビーバップ系の音が好きだったのだ。秋吉敏子もその頃から知っていて「TOSHIKO]と言う古いソロアルバムもレコード棚の奥にあったと思う。
ちなみにサキソフォンなどの管楽器の音は何となく苦手であまり聴かなかったので、彼女の率いたバンド(夫君のルー・タバキンと一緒の)のLPは、一枚ぐらいしか持っていないと思う。

移動中に聞こえたラジオの情報でこの日のコンサートを知り、すぐさま響ホールのチケット売り場に飛び込んだ。全席自由で\3,000-は超お買い得だろう。会場に入ると何の装飾も無いステージ中央にスタインウェイがポツンとあるだけ、この日の演奏はクラシックのようなPAの無い生音なのだった。客席はほとんど埋まっていて客層は割と高い年齢層が多い。

秋吉さんは旧満州生まれで、終戦時の大陸からの引き上げを体験されている。女性の年齢を明記するのは適切でないかも知れないが、パンフレットに1929年生まれと載っていたので書いておく。
戦後の進駐軍のキャンプ廻りから始まり、バークリーへの留学を経て、単身ニューヨークで活動し成功した日本ジャズ界のパイオニア、もとい、世界のトシコである。

黒のロングスカートに緑のスパンコールの付いた上着、ステージに登場したその姿を見て実に若々しいのにまず驚く。数年前に30年程続けたバンド活動を辞め原点であるソロ活動を本格的に再開したという。庄内町を訪れたのはもちろん初めてで、古い友人であり山形市でジャズ喫茶を営む相澤栄さんの縁で、この日の公演が実現したと言っていた。

演奏が始まるとジャズから離れて久しい我が耳には抵抗があった。
クラシックの演奏会ばかり行っているからだろうが、クラシックとジャズの違いは、書道の楷書と行書の違いだろうかなんて一人ごちながら聴いていた私は馬鹿なんだろう(笑)
でも、決してつまらなかった訳ではなく、逆に非常にリラックスして楽しむ自分を感じてもいた。

彼女の生演奏はもちろん初めて聴かせてもらったが、時に床を大きく踏み鳴らし、またハミングしながら楽しげにピアノを操る姿は、実に若々しくチャーミングで、だんだん秋吉ワールドに引き込まれていくのが実に心地良かった。目を閉じてその奔放な音に身を任せていると、自然に体が音に合わせて心地良く揺れ始める。これがジャズの楽しいところで大好きな由縁である。

この日はワールドプレミアムと銘打ったクラシックからの選曲もあり(トルコ行進曲、エリーゼのためにetc)、少々音を外し気味の演奏も貫禄のご愛敬(ウィンクで全て許される)、時に大きく左足を振り上げる演奏スタイルは楽しくもあり心配でもあったが…(笑)

万雷の拍手の中、最後は代表曲ヒロシマよりエピローグでこの日の演奏を終えた。ステージ袖からのお別れのジェスチャーに、彼女の人柄を窺い知る事が出来た。
まだまだこれからの活躍が期待できる素晴らしいコンサートでありました。

ふと思ったのだが、最近はLPレコードを聴くのが面倒でCDばかりだが、昔集めたレコードを聴き直したら、どのように聞こえるのだろうか?
20代からあっという間に過ぎ去った長いようで短い年月は、自分の感性をどのように変化させたのか…
若い頃の自分には、自由な時間はいっぱいあったような気がするが、中年になったら毎日時間に追われる虚しさ…

古いレコードをターンテーブルに置いて針を落としたとき、聞こえてくる音に今の自分はなにを感じる事が出来るのだろうか。
何か無性に懐かしい音が聴きたくなってきた。