【山形交響楽団 庄内定期演奏会 第14回鶴岡公演】

@グリンカ:カプリチョ・ブリルランテ(ホタ・アラゴネーサ)
Aグラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品82
 (アンコール)
Bヨハン・セバスチャン・バッハ:ラルゴ (高木さんソロ)
-----(休憩)-----
Cリムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
2010.03.14(日) 鶴岡市文化会館

指揮:広上淳一
ヴァイオリン:高木和弘
ソロコンサートマスター:高木和弘 C
コンサートミストレス:犬伏亜里


鶴岡公園の松の冬囲いも取れ、もうすぐ桜の季節、春の日射しが嬉しいこの頃、でもまだ外は風が冷たく寒い。
今年度最後の山響庄内定期だ。道すがらちょっとした買い物などしたもんだから慌てて会場に向かうが、相変わらず会場の駐車場は空き間があり難なく駐車できた。

ホールに入るとじきにプレトークが始まった。いつもは指揮者の方が一人で話す事が多いのだが、この日は指揮者の広上さんとVlnの高木さんが万雷の拍手に迎えられての登場。
本番直前なのに指揮者の服装は実にカジュアルなもので、真新しい白のスニーカーが異様に目立つ。方や高木さんはびしっと黒の蝶ネクタイで決めている。高木さんは背丈のそんなに大きな方ではないが、広上さんはさらに小柄で、高木さんの関西弁もあり、何か漫才の舞台のようだなあと一人苦笑する。

普通のコンサートでは協奏曲のソリストは、その曲に集中して他の曲は演奏しないのだが、今回高木さんはメインの「シェエラザード」でもソロコンマスを務められるそうでかなりの重労働(笑)のようだ。コンマスとソリストそれぞれの気持ちの持ち方や演奏法などを説明していただいた。
この日の配置はハープも入り客演も多い。1st、2nd vlnが仲良く並ぶオーソドックスな配置も久しぶりに見た気がする。かなりの大所帯で(山響にしたら)ステージがとても狭く感じる。

一曲目のカプリチョ・ブリルランテは初めて聴く作品、メインプログラムのリハーサルも兼ねているのか思ったよりも編成が大きい。曲もとても楽しくて指揮者のキャラにもピッタリ合った感じでとても良い。コミカルで何と言うかとてもウキウキする春らしい曲だと思った。
広上さんの指揮を初めて生で見たのだが、大きく両腕を振り上げて万歳するような感じや、ジャンプするような躍動感もあり見ていて実に楽しい振り方だ。表情を覗うことが出来ないのが残念だったが、多分笑顔での指揮なのだと思う。

二曲目のグラズノフ:ヴァイオリン協奏曲、高木さんが笑顔で登場する。
懐かしい映画音楽のような出だしにびっくりする。高木さんの演奏は、いつものコンマス席では、大きなアクションでグイグイ引っ張るような力強い演奏スタイルなのだが、スタンディングポジションでのソリストとしての演奏は、実に滑らかでサラッと流れるようにスマートに弾く。これがプレトークで話しておられた違いなのだろう。身をもって示され実によく判る。

音的にもいつも聞き慣れた山響独特の澄んだ弦の音とは少し違った感じで、明るく牧歌的色合いとでも表現しようかな(私的な感想です)、軽いと言ったら語弊があるが、実に楽しい曲調に仕上がっていたと思う。
まあ、指揮者のキャラもかなり影響しているのだろうが…(笑)
カデンツァも素晴らしかったです。

拍手が鳴りやまず珍しくアンコールが…
でもバッハの曲はいつ聴いても私にはやっぱり難しい。

ラルゴという曲も初めて生で聴いたが、アンコールにしては少し長いし大変だったのでは…
しかし、ソロリサイタルでのプログラムとしての演奏のように素晴らしいものだった。
動と静、明と暗、上手く説明できないが、それぐらい雰囲気の違う演奏だった。

バッハの曲は一音一音がはっきりした抑揚の少ない、シンプルなメロディーラインが延々続く感じで、聴く立場(聴くことしかできないが)では、一つ一つの音に意識が集中しすぎて、その日その時の感情をオーバーラップさせてしまう傾向が私にはある。

高木さんの奏でるバッハは、素晴らしい演奏であることは間違いないが、勝手な話で恐縮だが、納得できるものと出来ない音が混在し、自分でもうまく理解出来ない不思議な感覚を持って聴いていた。
人生に於いて喜怒哀楽は常につきまとうものだが、走馬燈のように実にいろんな想いが浮かんでは消えていく。一瞬のうちに一生分の時間が過ぎ去り、自身の生が終わろうとしている時の(想像ですが)ような、安寧と不安が入り交じった不思議な感覚だったのを記憶している。

休憩後メインのシェエラザード、あまりにも有名な曲である。が詳細な知識は持ち合わせていないし、プログラムの解説も読まないで聴いてしまった。(中年の視力低下ゆえか?)
プレトークの解説で、王様とシェエラザード姫との物語をモチーフに創られた曲であると言っていたが…
まあ、ここに書くまでもないほど有名な話なのだろう。

威厳に満ちた出だしから始まる。
高木さんの奏でるソロVlnとハープの掛け合いが、シェエラザード姫の想いなのだろうか。
CDでもある程度は体験できるが、実際の演奏では想像以上に現実から遠く離れた世界の中に意識が没頭していく。ただただ優しく寝物語がゆっくりと進行していく感じで、実に幸せな時間だった。

各パートのソロが実に美しく奏でられた。チェロとフルート、オーボエそしてファゴット…
高木さんのVlnは楽章の進行に伴い、単弦を弾く澄んだ音と、複弦を弾き悲哀を想起させる音をうまく使い分けて、表現豊かに語りかけてきます。終盤にかけて大きく盛り上がり、そして静かに主題に戻って終わります。

夢見心地の中で一瞬唐突に意識が現実に戻る事が何度かあった。普段より多めの編成であるオケの奏者達と指揮者をぼんやりとした意識で見ていたら、人間社会の多様さについての、とりとめのない想いが浮かんでは消えていった。

なんて書き方をするよりも ↓ の写真をふっと思い出したのだ。


郡鏡・山谷コミュニティー文化祭にて
わら細工による素晴らしい作品です。

ステージ上には実にいろんな特徴を持った人達が並んでいる。それは外面的なものもあり内面的なものもある。あるいは客席に於いてもそれは同じである。
人という生き物は実にいろんなスタイルをもって生きているんだと言う当たり前の事実を改めて感じいったのであるが、音楽がこれらの多様な個性を一つに融合させる力を持つことは紛れもない事実であろう。この事実は私のような天の邪鬼的支離滅裂な性格をを持つ人間から見ても実に清々しいものであることに素直に感動した。

会場の人達だって必ずしも全ての人がルンルン気分なわけではなかろうし、不安や恐れや怒りを持って来た人だって中にはきっといるだろう。来るときは難しい顔をしていても帰りは皆例外なく笑顔なのだ。駐車場の渋滞の中、会場からはき出されてくる人達の顔を見ていてそう思った。
そんなことを考えてる自分自身相当偏屈な人間なのだろうし、普段は苦虫を噛みつぶしたような表情の絶えないアホな人間であるが、そんなちっぽけな人間までも全て受け入れ、優しく慈しんで癒してくれる天使のようなものが、音楽なのだとつくづく思い知った演奏会でありました。

支離滅裂な文章ですいません。そんなアホなこと考えていたからか、音楽の神様が怒って、地震で会場を少し揺らしたようだが、誰一人気にもとめないで集中して聴いていたようだった。
広上さんの指揮もいいなぁ〜…
いっぺんでファンになりました。またの登場を期待しています。