飯森&山響 モーツァルトシンフォニーサイクル
   「アマデウスへの旅」 第3年
   交響曲全曲演奏 定期演奏会 Vol.9


2010.02.13(土) 山形テルサホール
指 揮:飯森範親
ホルン:八木健史
コンサートミストレス:森 悠子
ディベルトメントニ長調 K.136
アダージョとフーガ ハ長調 K.546
セレナードト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

    ---- 休 憩 ---

ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447
交響曲 ニ長調 K.95



モーツァルト定期が始まって、庄内からテルサへ何かに憑かれたように通った三年間、計九回の演奏会はその労力に十分見合ったものだと思う。
今回は客演コンマスで森悠子氏が出演し、高木さんの姿が無かったのがファンとしてはちょっと寂しかった。

飯森さんの説明によれば、森氏はずっとヨーロッパを活動拠点にキャリアを積まれ、最近日本に本拠を移されたそうで、高木さんやヤンネさんの師でもあるそうだ。今回は山響の弦パートのトレーニングも兼ねての出演のようであったが、帰国されてから初めてのオケでの演奏会だという。室内楽をメインに研鑽を積まれた方のようで、今は長岡京室内アンサンブルの音楽監督、以前はサイトウキネンオーケストラにも参加されていたそうだ。
恒例のプレトークで飯森さんの解説が始まる。

1曲目の「ディベルトメント」はアマデウスがイタリアから帰国した頃、16歳での作曲であるらしい。ディベルトメントは三曲作ったそうだ。
二曲目の「アダージョとフーガ」のフーガは、バッハの影響が色濃い作品とのこと。
三曲目の「アイネ…」は最晩年の作品で「小夜曲」とも言われる最も有名な曲であり、誰もが一度は耳にしているもの。

これら三曲は、管や打楽器の入らない弦パートのみの演奏であり、通常は弦楽四重奏などの室内楽で多く演奏されているようだ。
私のような素人には弦楽器だけの演奏は、おとなしすぎてインパクトが小さく、少し物足りない気がした。
さすがに三曲連続の後半は眠りに落ちる寸前であった(汗)
しかしながら山響のピリオド奏法は進化を続けており、澄み切ったその音色は素晴らしくきれいだ。

休憩を挟んで「ホルン協奏曲」が始まる。
今回のソリストは山響の首席ホルン奏者である八木健史(たけふみ)氏、この曲も生では初めて聴くが有名な曲である。飯森さんによれば、ホルンの良さを巧みに表した名曲とのこと。

八木さんの演奏は素晴らしく、以前聴いたブルックナーの4番冒頭を思い出し少しウルウルする。カデンツァも申し分ありませんでした。
所属するオケの仲間達をバックに演奏するのは良くも悪くも大変なんだろうが、息の合った素晴らしいコンチェルトだったと思う。

最後の「交響曲ニ長調」は、13歳での作曲という全4楽章の作品で、もちろん私は初めて聴く。当初は父であるレオポルトの作品ではないかと言う説もあったらしいが、直筆譜が発見され真作となったそうで、「交響曲45番」と言われた時期もあったそうだ。
この作品でやっと管楽器が多く入り、ようやくオーケストラ本来の響きが楽しめた気がした。


終演後の交流会には森悠子氏が最初に登場、一緒にいた飯森さんは、何故か終始、険しい表情を崩さなかった。同じ桐朋の大先輩とのこと、緊張していたのかなぁ?
続いて八木さんは二本のホルンを抱えて登場、片方はバルブのないナチュラルホルンで、ホルン協奏曲の冒頭のフレーズを演奏してくださり、通常のホルンとの音色差を聴かせてくれた。

飯森氏からの「プロホルン奏者の右手の使い方を披露して」とのリクエストに応じた八木さんの演奏は、私も含めた多くの聴衆は、初めて目の当たりにした人も多かったに違いなく、マエストロにして「あっぱれな名人芸」と言わしめたその奏法は「超絶」と形容出来るものだったと思う。
また音楽に対する真摯な態度も実にすがすがしく、素晴らしい人柄を改めて認識した。

興味深かったのはカデンツァの演奏について、八木さんは、演奏に当たって他の人のカデンツァを参考にはするが、最終的にはその時の雰囲気等を考え自分で作曲して臨んでいるとのこと。傍から見ると大変そうだが、実に楽しい作業であるとおっしゃっておられた。
翌日は庄内町の響ホールでの演奏会があり、そっちの方へ頭を切り換えて頑張るとおっしゃっておられたのが印象に残った。

実は、響ホールでの演奏の方を地元民としては聴きたかったのだが…
二日連チャンは…
いくら何でも…(涙)

休憩時間に求めたブルックナー交響曲三番のCDに、音楽監督からちゃっかりサインを頂き会場を後にした。

  
交流会での飯森音楽監督と森悠子氏

  
この日のソリスト八木健史氏