【太田三郎 日々



用事のついでのほんの気まぐれで訪れたアートステージ、失礼ながらアーティストとしての「太田三郎」と言う名は存じ上げなかった。パンフレットによれば1950年生まれで出身地は旧温海町、鶴岡高専を卒業後上京、グラフィックデザイナーのかたわらアーティストとしての活動を開始するとある。ここに氏の作品の映像を掲載することは出来ないが、乱暴な分類をすれば切手作家とでも言おうか、いやいやそんな安直な紹介はよそう。

今回の展示は、「戦争」「生命/種子」「存在」の三つのテーマで構成されているとのこと。
インスタレーション(installation)と言う言葉をご存じだろうか。パソコンを使う人はインストールと言う言葉を知っている筈、取付、設置などの意があるが、現代美術の世界では、作品を単体としてではなく、展示する環境と有機的に関連づけることによって構想し、その総体を一つの芸術的空間として呈示すること。

ある辞書にはそんな風に載っている。


入口付近のロダンの彫像の廻りは真っ赤な防鳥網が敷き詰められている。中程から紐状の物体が、まるで蔓が伸びるように階上へと…

順路に従い鑑賞するも初めは作者の意図がまるっきり想像できなかった。

テーマの一つ「戦争」は中国残留孤児の顔写真を切手シートにしたものの羅列。
続いて広島の被爆地帯に今でも存在する、お地蔵さんの顔を写した写真の切手シートの羅列。
そして広島の市街地で見つけたらしい、古い陶器の破片を並べた写真の切手シート(表題の写真)…

作者に実際の戦争体験は無いものと思われるが、日々の暮らしの中で感じられる過去の傷跡を己の出来うる手法、範囲で記録し、表現し、訴え考えさせる…。


続くフロアには膨大な数の植物の種子を封入した切手シート…
身近な野山や公園などに生えている植物の種子を日課として毎日収集しているとのこと。
言葉にすれば簡単だが、その根気と労力は想像を絶するものだろう。それらを整理しアートとして切手シートに和紙で封入する作業…

その膨大な作品を目の当たりにし、ここを訪れた人達はいったい何を感じるのだろうか。
誰もが入手できる身の回りにある何でもないもの、それらを芸術作品として昇華させるエネルギーの根源はいったい何なんだろうか。

圧巻は廃品であろう牛乳の紙パック片に、薄い和紙で種子を封入した葉書大の作品を糸で縦に繋げて、天井から幾重にも吊り下げた膨大な作品…
酒田には「傘福」という吊るし雛がある。とてもカラフルなものだ。
でもこれは白一色のみ。

変な喩えで恐縮だが、どこかのカルト教団の信仰の対象に為りうるような感じが…

いろんな形をした植物の種子は、人々の目にふれる機会は少ないし、それにアートの素材として興味を持つ人も希であろう。しかしここに展示された種子達には、この世に存在しうる明確な自己主張がある。
改めて見てみると実に個性的で威厳に満ちた存在感を示している。

種子一粒を見ても、私のような凡人には何も感じることは出来ないが、それらを連ねることにより心に響く「何か」を見事に表現している。


入口からの運命の赤い糸?に導かれ階上へと足を運ぶ。
太田氏のライフワークの一つが、近所の郵便局で消印を毎日切手シートに押してもらうこと。それをもう何年も続けいているという。(現在も継続中)

見慣れた切手シートの、小さなパンチ穴で区切られた一枚一枚に、違う日付で押された消印、そのシート一枚一枚を額に入れて展示している。その圧倒的な光景に唖然とする。果たしてこれが芸術なんだろうかと思ったのが正直なところ。
でも誰にも発想し実行出来ない唯一無二の作品だ。

そして傍らの小部屋に矢印が…
導かれ一歩部屋に入るやその光景に圧倒される。入口のロダンから続いていた真っ赤な紐のようなものが、この部屋まで繋がっていたのだ。
部屋中に縦横無尽に張り巡らされた防鳥ネットを寄り合わせた紐状のものに、使用済みの切手を無数に貼り付けてある。
うまく言葉で表現することは出来ないが、ある意味かなりショッキングな光景であった。

その膨大な作品群の中に我が身を置いてみると、自分がひどくちっぽけで何の価値もない、みすぼらしいものに思えてくる。
雑草の種子や、その辺に転がっている「がらくた」の集合体に、恐怖感にも似た威圧を感じる自分…

今も世界のあちこちで続いている戦争という蛮行は、誤解を恐れずに申せば、結局は末端の名もない多くの民の意味のない消耗なのだ。
それらを含めた人類の「行為」に対する風刺も、ひょっとして太田氏の頭の中にはあるのかも知れない。


太田氏の作品群は膨大だ。日々止まることなく脈々と創り出されている。けれども膨大ゆえの雑多さは微塵もない。小さな作品一つ一つに細かく緻密な配慮がなされ、全ての作品がそれぞれ明確な意志を持ち、見えない血管で繋がっている巨大な生命体のように思われる。

私は美術を真面目に勉強したことなどない素人であるから、現代美術の知識もないし、そのカテゴリーも知らない。でもほんの気まぐれで時々ギャラリーや美術館を訪れることがある。そしてまれに予想だにしない「感動」に出会うことがある。

今回もそんな感じ… 

今も時間に比例して徐々に大きくなっていく「不思議な感動」に正直、面食らっている。