【山形交響楽団 庄内定期演奏会 第7回酒田公演】

キラール:オラヴァ
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調作品22
《アンコール ピアノソロ》
ショパン:幻想即興曲
-----(休憩)-----
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27
2008.05.09(金) 希望ホール

指揮:飯森範親
ピアノ:仲道郁代
コンサートマスター:高木和弘



希望ホールでの平日6時半開演という厳しい(笑)条件の下、なぜか開場2時間前の事前座席引換の列に並ぶ・・・(冷汗)
案の定開場するも座席はガラガラ、こんな素晴らしいコンサートをもったいないなあと嘆く。

恒例のプレトークでは飯森氏の声が変、どうやら風邪気味の様子である。
キラールは現代音楽の作曲家とのこと私は初めて聴く。オラヴァはおよそ10分程の短い曲なれど、展開がめまぐるしく変わり中身の非常に濃いとても面白い曲だとのことである。
飯森氏とピアノの仲道さんは桐朋時代の同級生だそうで、大学1年の時に彼女はすでに大スターだったそうである。
彼女の活躍に触発され当時頑張られたと言う話であったが、「郁代ちゃん」「飯森くん」と呼び合う二人には強い絆(?)を感じた。

1曲目のキラールは、第1ヴァイオリン5人、第2ヴァイオリン4人、ヴィオラ3人、チェロ2人、コントラバス1人の小編成を飯森氏が指揮するアンサンブル風の演奏であった。
山響の誇る弦楽器群の精鋭達の演奏は実に素晴らしく、オルヴァという曲も初めて聴いたが、次々と変わる曲想がとても楽しく聴き甲斐があった。パンフレットにも載っていたがグレツキ等と同時期の人(今も存命中)だと言うことで、何となく妙に納得した。最後の掛け声が意表をついてビックリ・・・

2曲目のショパンの大ポロネーズは、ピアノとオケでの演奏は世界単位で見ても滅多に無いそうでとても珍しい演奏とのこと。通常はオケの演奏部分もピアノの独奏でカバーされるそうで、ピアノソロでの演奏会という形がほとんどらしい。

ショパンはこの曲を最後にオケとの協奏曲を書かなくなり、ピアノ単独曲の作曲に没頭して行ったそうで、逆の見方をすれば、ショパンがいかにピアノという楽器を愛していたかが理解できるというもの。

仲道さんの演奏を聴くのは実は2回目で、去年の新日の演奏会以来、あのときは座席の特性かいまいちピアノの音が良く聴き取れなかったことを思い出しながら聴いていた。
しかし今回はGood。

素晴らしい演奏に拍手が鳴りやまずアンコールに同じくショパンの幻想即興曲、うっとりと聞き惚れる。彼女のお得意と言うかライフワークは、ベートーベンのピアノソナタ全曲演奏、いつの日にか庄内で聴くことが出来たら嬉しいのだが・・・

休憩後メインのラフマニノフ、彼は交響曲第1番で当時かなり酷評され精神科医の助けを必要とするほど落ち込んだそうで、今回の2番作曲まで相当時間が掛かったということ、しかし有名なピアノ協奏曲第2番で自信を取り戻し、交響曲第2番もその後すぐに作曲したと言う。

ラフマニノフはピアノ奏者としても優れていて、相当大きな体格だったらしく(当然手も大きい)通常の演奏者では出来ないような展開の作曲をしているそうだ。
この交響曲第2番の彼独特の旋律は、ピアノで作曲されたのが想像できるというお話が飯森氏から紹介された。つまり演奏する側にしてみたら、とんでもなく高度な技術を要求されると言うことらしい・・・。

この日の山響の演奏は70人規模、通常のメンバーでは演奏不可能と言うことで助っ人がかなり入っていたが、演奏開始と同時に非常に強く引き込まれ、終曲まで一瞬も気を緩めることができなかった。
飯森氏もこの曲にはひときわ思い入れがあるようで、終演後の交流会でいろんなエピソードを語っておられた。

演奏最初の一音で、ビビッと魂の奥底の何かが反応し、もう後は夢の中・・・。
それほど今回の山響は素晴らしく気迫が感じられた。かつ、とても丁寧な演奏で、団員個々のこの曲に対する想いがヒシヒシと伝わって来た。

一時間近くのとても長い演奏であったが、各楽章がそれぞれ特徴的で(少しくどいと言う意見もあるようだが)一瞬たりとも目が離せなかった。
コンマスの高木さんが立ち上がらんばかりのボディーアクションも交えてグングン弦楽器群を引っ張る。
木管パートもトップの掛け合いが実にスムーズに美しく流れとても素晴らしかった。

クラの独奏(郷津さん?)、イングリッシュホルンの斎藤さん、フルートの足達さん、5本のホルン群の皆様、ブラボー、素晴らしかった。

第3楽章の優雅な旋律から終曲までは完璧に夢心地、体が自然に曲想に合わせて揺れるのが心地よい(笑)
第4楽章の途中から「ああ、この夢のような時間をどうか終わらせないで}と心の中で叫び続けていたのが本心である。

音楽は「時間を構築する芸術」と池辺晋一郎先生が何処かで言っておられたが、現実的に時間を止めることなど誰にも出来ないこと、けれどもこれほど時が止まって欲しいと必死で思ったのは滅多に出来ない経験である。

音楽家がこつこつと積み上げた音符の先にある芸術は、変な喩えではあるが、もうこの世にいない画家が遺した絵画を見たときに感じるオーラと同じような感覚がある。
絵画は直接目の前で鑑賞することによりその感覚に浸れるが、音楽は演奏者という媒体を通して我々に届く。

素晴らしい音楽や絵画は、共に創った人たちが既にこの世に存在しない場合の方が圧倒的に多い気もするが、時間という現実的概念を超越した芸術空間が脈々と存在することに改めて気づかされた。と同時に、今回の素晴らしい演奏による有益な時間を提供してくださった奏者の方々に感謝する。