【山形交響楽団 庄内定期演奏会 第5回酒田公演】

千住 明:(平成19年度委託編曲作品)
映像音楽による組曲「白神山地〜命そだてる森」
横笛とオーケストラの為の(2000&2007)

グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16

  ---- 休 憩 ---

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)
2007.05.11(金) 酒田市民会館「希望ホール」
指 揮:飯森範親
ピアノ:コルネリア・ヘルマン
篠 笛:柴田旺山
コンサートマスター:高木和弘



希望ホールでの飯森さんの指揮は久し振り、今期から音楽監督に就任され益々の活躍が期待される。プログラムの冒頭にも《音楽監督就任記念》とある。
予定ではコンポーザー・イン・レジデンスの千住明氏も今回の演奏に駆け付ける予定だったようだが、残念ながら見えられなかった。
尚、今回のプログラムは6/23に東京オペラシティーでも演奏される。

冒頭の組曲「白神山地〜命そだてる森」は千住氏が2000年にNHKの特番で音楽を担当したときの作品を再編曲したもの。当時私も見たような記憶がある。15分位の短い作品であるが、飯森さんの解説によれば、「能動的に」自然の情景をイメージして聴いて欲しいとのこと。
非常に繊細かつ綺麗なゆったりとした音楽は、白神の深い森に抱かれているような穏やかな安心感を持って聴くことが出来た。多分、記憶のどこかに当時聴いた音階の一部が残っているのか、初めて聴いた気がしなかった。

篠笛の柴田氏の音色もとても素晴らしく、オケとのバランスも非常に良かった。静寂の雰囲気のオケの音に筋の通ったような凛とした篠笛の響きは、深い森の中で暮らすクマゲラのイメージとオーバーラップし、風にそよぐブナの葉のざわめきが聞こえてくるような気がした。
偏見かも知れないが、西洋の人ではこのようなイメージの曲を作曲するのは非常に難しい気がする。


終曲後、スタインウェイのピアノがステージ中央にセットされ、目の覚めるようなワインレッドのドレスに身を包んだコルネリア・ヘルマンさんが登場、彼女の母親は日本人で日本語はペラペラなのだそうだ。数々の受賞歴を持ち有名なオケとの共演も多い。
冒頭は誰もが聴いたことのある有名なフレーズ。この協奏曲は独奏者のカデンツ(オケは休んでソロパートのみの演奏)が多くあり彼女の優雅な独奏が楽しめた。
いつも感じるのだが、このホール、座席の特製もあるのだろうが、オケの響きは申し分ないのだが、ピアノの音がイマイチ良く響かない気がする。それとも私の耳が変なのだろうか・・・

この曲、特筆すべきは2楽章目、非常に優雅に優しく美しい旋律が続き、ピアニストの腕の見せ所も多く、女性ピアニストの感性の方が合っているように感じた。もちろんコルネリアさんは素晴らしい美貌の持ち主、視覚面でも十分堪能させて頂きました。

休憩後メインの「展覧会の絵」、非常に有名な曲で演奏される機会も多く、私も過去に二度程聴いているが、全て在京のオケでのもの、使われる楽器の数も多く奏者も当然多くなり大編成の曲だ。各楽器のソロも非常に多く難度がとても高く指揮者とソロ奏者の技量が如実に表れる作品だと思う。
この日の山響も当然普段よりかなり多い奏者がステージに並んだ。珍しいのがチェレスタとアルトサックス、よく見るとユーフォニウム、イングリッシュホルン、コントラファゴットも見える。打楽器の種類も多くハープも2台ある。かなりの助っ人を要している模様・・・

飯森さんの解説では、プロムナードとは渡り廊下のイメージ、冒頭と各曲間にに現れる。特筆すべき曲は5番の「殻をつけたひなどりの踊り」実際に絵を見れば良くイメージできるそうだが、卵から出ようとしているひなどりのコミカルな動きを想像して聴いて欲しいとのことでした。曲の最期はひな鳥がコテッとこける様を現しているそうです。

オリジナルはピアノソロの曲、それをラヴェルが編曲、飯森さんの解説によれば指揮者が持つスコアの一番下に、ムソルグスキーのオリジナルのピアノパートが書いてあるそうで、オーケストラのスコアとはテンポが微妙にずれている箇所が所々あり、そう言った箇所からもラヴェルが相当力(リキ)を入れてアレンジしたのが読み取れるそうです。

演奏は井上さんの完璧なトランペットソロから始まる。少人数の山響では以前聴いた大編成のフルオケとは明らかに差違がある。例えば低音部を担うコントラバスも通常は7台くらいの編成になるのだが山響は4台だ。チェロも当然少ない。聴いていると低音部の音量が不足しているのがはっきりと判る。しかし、飯森マジックはこの壮大な曲でも遺憾なく発揮された。

過去に聴いたこの曲の演奏は皆素晴らしいものだったが、山響の響きは、音楽素人の私には言葉でうまく説明出来ない。身贔屓なのかも知れないが、心の奥のある部分に届く感動の度合いが明らかに他のオケと違う気がする。途中から奏者一人一人が実に愛しく感じられ(と言うと変か?)彼等の曲に対する凄まじい気迫がヒシヒシと伝わり、何故か自然と涙が出てくるのだった。
当然終曲と同時にブラボーと何の抵抗もなく叫んでいた。

以前から音楽には、私のような素人には聞き取ることの出来ないある種の「言語」(日常会話するような)が存在するように薄々感じていたのだが、今日の演奏ではっきりそれが確信に変わった。

山響、マエストロ飯森、恐るべし・・・