【秋の終わりに鶴間池散歩】


晩秋の鶴間池

【日 程】2014年10月25日(土)
【山 域】鳥海山
【山 名】鶴間池(820m)
【天 候】晴
【メンバ】2人
【コース】登山口 → 往復
(概 略)


山雪荘前(10:00)---(10:45)鶴間池(12:15)---(13:00)山雪荘前


今年の農作業も何とか大きいところは終わった。とは言え問題が無いわけでもなく憂鬱な気分だ。予定のない自由な休日は久しぶりで、気晴らしを兼ねて鶴間池に向かった。
本来であれば晴れ渡った鳥海の頂を目指すのだろうが、日頃の不信心、もとい不摂生な生活ゆえに、そんな体力はなく、お手軽な散歩と決め込んだ。

湯の台の牧場を過ぎ曲がりくねった道路沿いの紅葉は、もうすでに終わりに近く、陽光に白く輝くブナの幹が印象的だ。それでも時折きれいに色づいた紅葉も楽しめる。この日の好天は外輪を思いの外近く感じることが出来、ウキウキする気持ちを抑えるのに苦労した。
確か滝の小屋も先週末で小屋締めをしたはず、友人からの一升瓶担いで来いと言う誘惑を振り切るのに苦労した。今年の泊まりは龍門に行ったきりだったなぁ…

それでもこの秋には中登隊のメンバーと久々に話すことが出来た。皆それぞれの生活に忙しく山行を共にする機会は無くなったが、猫のようにしつこく諦めないで虎視眈々と機会を窺っている様子は何となくわかった。中年(初老?)は、しつこいからねぇ…
人生諦めたら終わりなのだ(笑)


  
車道からの外輪   と   少し残った紅葉


荒木沢傍の空き地に駐車し準備をしていると一台の車が到着、同じ事を考えている人がいることが不思議と嬉しい。先を争うように出発する。木漏れ日溢れる登山道にはブナの枯れ葉が敷き詰められ、カサカサと心地よい音が森に響きゆっくりと歩を進める。ああ、心の中に溜まった冷たい塊が溶けていくような安堵感をおぼえる。


  
ブナの落葉を踏みしめて


途中の小沢で水を拾い喉を潤した頃には軽く汗ばんできた。山中に身を置き周囲と同化する感覚は何物にも代え難い。こうしてだんだん身体と心が癒されていくのだ。
途中の急坂を何とか下りきったら暑くてたまらず一枚脱ぎ半袖になる。この辺のブナは鳥海南面では一番古く太い。太古から綿々と続く古木の息吹も今は冬眠前ゆえ静寂きわまる。なだらかに登る道の両脇に秋の恵みを探すも目当ての物は見つからない。先人が営んだ炭焼き窯跡の石組みが見え始めたら目指す鶴間池はもうすぐだ。


  
炭焼き窯跡   と   小屋が見えた


ブナの樹林に建つ鶴間池小屋は、以前倒木の直撃を受け全壊に近い被害を被ったが、今は再建されひっそりと湖畔に佇みながら登山者を待つ。中を覗くが当然誰の姿もない。この日は天気が良く日差しも暖かいので、外に荷を置き空身で湖畔を散策する。もう何年も来てないので懐かしさもあって自然と笑顔になる。下界では仏頂面を自慢しているがここでは似合わないのだ。

湖畔から仰ぎ見る外輪の高みと青い空、視線を少し下げれば葉を落としたブナの白い樹皮が、そよ風にたなびく湖面と程よく調和し、見事な自然の造形美を楽しませてくれる。
原始の森では太く逞しいマザーツリーを探しながらE藤さんから伺った話を思い出す。
以前、面白山だったかなどこかで会った大学の研究チームが、二つの離れた山域の別々の複数のブナに電極をセットして、片方のブナに何らかの刺激を与えたところ、不思議なことに全てのブナから同時に反応があったという。


  
鶴間池小屋   と   外輪を仰ぎ見る


樹木に命があるのは当たり前だが、何らかの意思に近い感覚をを持ち、それらを伝達する術を持っている証であろうとのこと。
深い森の中で千年近くその場にとどまり生きてきた大樹に触れた時、不思議な感覚を覚えた事はないだろうか。自分にもう少しだけイノセントな心根が残っていたならば、これらの木々と会話できるのかも知れない。



ひときわカッコイイ、ブナの巨木


鶴間池は鳥海の火山活動による火口湖だ。庄内側から山を眺めると東側の山麓に窪地が確認できる。またこの池には伝説も伝わってもいる。黒百合姫の伝説とかは結構有名でもあるが、そんなことを考えながら散策するのも楽しい。
しかし、現実はお昼時で腹の虫が騒いでいる。小屋前の岩のテーブルに陣取り昼食の準備をする。コンロに火を付けると時折風が強くて閉口したが、何とか暖かい鍋焼きうどんが出来あがり満腹、後は帰るのみだ。




暖まる鍋焼きうどん

同じ道を戻るのも嫌なので、のぞきへの急登に向かう。途中の梯子にビビリながらも無事車道に出れば後はのんびり秋の日差しを浴びて荒木沢まで下るだけ、お手軽山遊びでした。