【好天に誘われ金峰山】

   注、金峰山の「峰」の字は山偏なしが本当ですが、環境依存文字なので「峰」にしております。


稲刈りが終わった田んぼから眺める金峰山

【日 程】2014年10月26日(日)
【山 域】摩耶連峰
【山 名】金峰山(458m)
【天 候】晴
【メンバ】2人
【コース】登山口 → 往復
(概 略)


登山口(10:00)---(10:45)山頂(11:15)---(12:00)登山口



予報では芳しい天気ではないようだったが目を覚ませば青空だ。
この日は夕方から所用があって遠出は出来ないのでゆっくりしていたのだが、家の中にいるのがもったいなく、さてどうしたものかと…
結局お手軽コースその2、準備もそこそこに金峰山へ向かった。

考えてみると山頂から下ったことは2回ほどあるが、登ったことはないのだ。
1回目は湯ノ沢からの縦走時の単独周回、その時はバスで車を回収に落合まで、2回目は岳友と二人で母狩山からの縦走、その時は谷定と神社の入口に車をデポした。今回はお手軽に中の宮の下まで車で入る。神社の神官達は冬ごもりの準備に勤しんでいた。
駐車場には県外ナンバーも少し見えた。

準備を整え出発、社務所前で湧き水を汲み喉を潤す。立派な中の宮を過ぎると切り開かれたような参道となる。風もないので歩き始めると直に暑くなる。空身に近い装備なので楽なのかと思いきや、石碑のある展望台までに結構汗を掻く。
途中一人に抜かれ上から二人降りてきた。この後も何人かと行き交う。この山は鶴岡市民の憩いの山、トレーニングも兼ねてやってくる人も多いのだろう。


  
展望台からの母狩山 と 庄内平野

展望台で一休みし縄張りされた門柱をくぐると雰囲気がガラリ、結界を超えたのだろう。道も険しくなり修行のようになる。当然軟弱者の自分はヒーコラ言い始めるのだった。
修行と言えばこの山も修験道の聖地なのだ。
今を遡ること数百年前、庄内では羽黒、鳥海、摩耶山、荒倉山、金峰山、温海岳が修験者の根拠地として大きな勢力を持っていたという。

戦国時代に荒倉山の修験者が上杉軍と一悶着有り、宗徒のほとんどが殺戮された時、ほんの一二の者が逃れて金峰山に隠れたとされている。
金峰山修験では金峰、母狩、摩耶を金峰三山と呼び聖地と崇めた。それらを踏まえても庄内の修験者達にとってこの山はとても大事な場所だったのだろう。山頂にある奥の宮は途中何度も修繕されたが、修験道時代の建築様式を今に残す数少ない社だそうな。

またこの山は庄内平野の展望に優れ、鶴岡市街の全てが手に取るように望まれる。また日本海の海岸線もきれいで、鳥海から弁慶山地の山並みなど、山好きにとっては堪らない眺望を誇る。
山頂付近にはブナと杉が混生しており、その中でも背の高い杉はよく目立ち、西回り航路を航行する千石船の良き目印となったそうだ。実際立派な杉の古木も現存する。
そんなことを考えながら山頂付近にいると、いろんなスタイルの人たちが登って来ては、すぐに下っていくのだった。


  
金峰山奥の院  と  青空に映える杉木立


人は自己の身の回りに起こった現実的に目に見えるものしか受け止めることが出来ないのかも知れない。
なんだか最近の世間の風潮として、自己の正当性を主張するのに血眼になっているように感じる。何でもかんでも勝つか負けるかしかなく、勝てばすべて正当化されるような…
逆に考えると他人の言動に異常に反応する人って、常に不安感から解放されない人なんだろうけど、人間なんて千差万別、他人と違って当たり前と割り切れないんだろうなぁ…

例えばだけど、山小屋でたった一人の夜を楽しむ人と怖がる人、朝日の大体の山小屋に一人で泊まったことがあるけど、怖いと思ったことなんて記憶にない。やったー、今夜は一人だと万歳したことは数限りないけど、山にあまり行かない人は信じられないという。
人が生きていく上で不安のない人なんていないし、誰だって不安だし怖い思いをする。ましてや命の危険など体験したなら臆病になるのは当たり前だ。

あるクライマーは、岩場を登っているときよりビルの屋上にいる方が怖いと言う。オラも山の上はそんなに怖くないが下界では高所恐怖症の臆病者だ。
何が違うかはよく分からないけど、クライマーは一番怖いものを知っているんだと思う。そしてどうすれば安全で怖くないかを。
そこんところにヒントがあるんじゃないかなと考えている。
オラだって臆病だから怖いものはいっぱいあるし、痛い思いもいっぱいしてきたけどね…


  
深い歴史が刻まれた参道


山に入ってそんなアホなことを考えている人もいるのです。

ああ、腹減った、下ろうっと。