羽黒山参拝(重き馬荷に上荷打つ)


三神合祭殿

【日 程】2014年10月11日(土)
【山 域】出羽三山
【山 名】羽黒山(414m)
【天 候】晴れ
【メンバ】2人
【コース】登山口 → 山頂往復
(概 略)


登山口(9:30)---(10:05)二ノ坂茶屋(10:15)---(10:30)山頂(11:15)---(11:31)南谷分岐---(11:45)南谷---(12:35)登山口




平成26年牛歳は「修験の山」羽黒山の御縁年である。これは開山された午歳の御縁にちなんで、12年に一度来る午歳に参拝すると、12回お参りしたのと同等とされ、ご利益多きことなのだという。また同時に開山の祖である蜂子の皇子の御尊像を十月いっぱい一般公開しているので、自分が生きているうちに拝観することはもうないと思い出掛けた。

羽黒山は筆者にとって近くて遠い山なのだ。2012年に立谷沢方面からの古道を散策したことはあるが、正門から2446段の石段を踏んでの参拝は遠い昔のことである。
狩川から添川を経て手向に向かう道は、中学生の時分に友人と自転車で通ったことがある。あれから早四十数年、当時の記憶は曖昧模糊としているが、遠足気分で楽しんだ記憶は残っている。

また、本年の山歩きは7月の「泣きっ面に蜂」事件以来足が遠のいている。別に蜂子の皇子に掛けているわけではないが、正直あまり良いことが無いのも正直なところで、苦しいときの神頼みではないけれど、ここは殊勝に頭を垂れるのも悪くはあるまいという甘ったれた心根もあったのだ。まあそんな見え透いた心根は、木っ端みじんに粉砕されてしまうのだが…

  
随神門  と  須賀の滝

いでは文化記念館の駐車場に愛車を置き、一応登山なのでザックも背負い普段通りのスタイルで出発する。午前中のこの時間でもそこそこの観光客がいるのはさすがに有名な観光地の証、でも登山スタイルで石段に向かう人は皆無である。
随神門より先は出羽三山の神域となり一際身も引き締まる。が、肥満の進んだ体にはあまり意味がない。

継子坂を下ると祓川に架かる朱塗りの神橋に出る。向かいにある須賀の滝の清冽なしぶきが朝日に煌めく。そのまま石畳を進むとすぐに爺杉の姿が目に飛び込んできた。
爺杉は樹齢千年を超すこの山域でもっとも古い杉だという。
そのすぐ隣には国宝の五重塔が杉木立の中に建っている。およそ600年前、当時の庄内の領主である武藤氏の創建と伝えられている。
華美な装飾もなく周りの景色と調和した見事な建立物である。
余談ではあるが武藤氏は大宝寺氏とも言われた大泉荘(鶴岡)の地頭であったが、天正15年に当主義興が自害し滅んだ。


  
爺杉  と  五重塔

ここから本格的な登りの始まり、一ノ坂が天上に延びている。久しぶりに体を動かしたからかすぐに汗が噴き出す。上着を脱ぎ捨てTシャツ一枚になるも止めどなく流るる汗と、ゼイゼイと林間に轟き渡る嘆息は周囲の嘲笑を買う。いやあ、羽黒山ってこんなにしんどかったっけ?
周囲の観光客は筆者から見たら青春まっただ中の世代、小憎らしいことにすいすい追い越していくではないか。

二ノ坂を上り詰めた所に茶屋がありここでたまらず一服する。これは昔からある茶屋で力餅が名物、結構の人が休んでいる。ここからの庄内平野の展望も見事で疲れが飛んでいく。
ここから三ノ坂までなだらかな石畳の道が続き、両側にそびえ立つ杉並木が見事だ。この辺が一番良い雰囲気だと思う。凛とした神々しさが気持ち良く少しは身も引き締まる気がした。


  


三ノ坂の手前に右手に伸びる道があり時間に余裕があれば行って見た方が良いと思う。
およそ500m先に南谷の遺跡があり、観光客が滅多に訪れない静寂と林間の空気がとても美味しい場所である。
江戸時代に50代執行別当である天宥が、およそ350両もの費用を掛けて造営した豪華絢爛たる伽藍があったと伝わるが、当時の面影を残すものは礎石以外ない。しかし逆にその静寂さが歴史ロマンを誘う気がする。
俗物的で食い気に毒された筆者は、杉の古株にスギワケを見つけて喜び勇んだのは言うまでもない。まったくもって神域での愚行に天誅が下るのは致し方ないことだったのだ。


  
南谷へ

三ノ坂は思ったほどきつくはない。あっという間に終わり山頂の赤い鳥居が見えてきた。
済館を過ぎるとすぐに蜂子神社がある。本日の目当てはここに祀ってある御尊像を参拝することなのだ。
羽黒修験は明治の宗教改革までは仏教であったのだが、国策で神道に強制的に転換されたのだが、羽黒修験の開祖である蜂子の皇子は、聖徳太子の従兄弟にあたると言われているが、一般的に大概の寺院の縁起帳には身分の高い人が祖と書かれている。それには色々な思惑があり真偽の程は定かでないものが多いとされているが、わざわざ参拝に来てそんなことを考えている事自体バチアタリなことなのだが、言葉に出さない限りばれるはずはないと高をくくっていたのだ…

話を戻そう。それまで御尊像は麓の五重塔の中に祀られていたが、廃仏毀釈の難を逃れるため、山頂に今の社殿が造営され御神体として移され、開かずの扉の奥に納められたそうな。
現在までにその扉が開かれたことは一度もなく、また10月以降再度開かれることは今のところ永遠にないそうだ。ちなみに山頂部にある開祖のお墓は現在宮内庁で管理されているとのこと。



  
三ノ坂  と  蜂子神社

そんなわけで入口に神官が常駐しており、参拝料500円を払うと小さなお札を渡され、頭を垂れるとお祓いをしてもらえる。その後係の人に導かれ社殿の中に入ると、開かれた扉の奥の神々しい御尊像と対面できるわけだ。撮影等を厳しく禁じられ係の女性から上記の説明を聞く。その後二礼、二拍手、一礼の拝礼を済ませ退出となる。


蜂に襲撃されてから山に行けない事を日々嘆いていたのだが、実はその後稲刈りの際に軽トラの荷台から飛び降りた際に左の足首を少し痛めた。それがまだ完治していないのもあって神様に、良いことありますようにとお祈りしたつもりなのだが、神の世界はそんなに甘くはない。他力本願など以ての外、甘えは許されないのだ。

神仏に自己の保身を願うことは間違いである。願わなければいけないことは世の安寧と人々の幸福である。
そこのところを筆者も含めた多くの人々は誤解しているのだ…

参拝が終わり脱いだ靴を半端に履いて社の階段を急いで降りた。ふと後が気になり何気に振り向いた瞬間、

ギクッ!!

左足が最後の階段を半分踏み外し落ちた。
同時に強烈な痛みに襲われ大きくよろめく。視線を上げると物々しげな神官達と大勢の団体客の冷たい視線が…

午なんて大っ嫌いだ(大涙)

やれやれ…


  

蜂子神社の参拝風景(ググったら画像が出てきたので勝手に貼り付けます(汗))

開祖様のお顔は修行時のもので人々の苦悩を一身に受けたためにひどく醜くなったとされているが、修行が終わったときには元に戻られたと言われている。
ちなみにこの絵は前述の天宥別当が描かれたそうだ。