朝日帰還-1(龍門小屋に導かれて)


南寒江山から望む大朝日岳への稜線

【日 程】2014年07月12〜13日(土日)
【山 域】朝日連峰
【山 名】寒江山(1694m)
【天 候】曇、雨
【メンバ】単独
【コース】根子 → 龍門小屋往復
(概 略)


07/12 根子(6:38)---(8:10)日暮沢小屋(8:45)---(12:15)清太岩山---(13:02)ユウフン山---(14:30)龍門小屋



今、目の前に一枚の紙がある。明るい色調でカラフルな彩りにあふれ希望に満ちた雰囲気の…。
端から三方向に5oほど平行なミシン目があり特定された人以外見ることが出来ないように配慮されているが、その気になりさえすれば誰でもミシン目に沿って切り込みを入れればその内容を見ることが出来るので、あまり意味の無いことのように思う。

結論から先に申せば、あまり嬉しくない内容の健康診断結果のお知らせが届いたのだ。ここには三年前からの記録が記載されていて、綜合判定は古い方から順に「異常なし」「要注意」「要精検」と着実にステップアップしており、このままでは3年先には「治療中」となるのが確実だ。
もっとも今でも重篤な病持ちではあるが…

大概の人は肝機能のγGTPの価が気になるみたいだが、これは引っかかっていない。
代わりにTGなどの血中脂質の価が異常に高いのだ。つまり酒は大丈夫だと太鼓判を押されたようなものと思っている。もちろんメタボチェックは毎年NGだが、あまり気にしないことにしている。
しかし自分の体が現在どのような状況なのか体感するには山歩きしか思いつかない。今回の山行を一人計画してみたのだが、無謀なことだと心配する人もいる。だが決意は固く縋る○○を振り払い決行することにした。
 (↑ ↑ ↑ バカか…)

庄内は土砂降りで112号のトンネルを抜けたら快晴だった。この国道はいつ通っても怖い。皆先を急いでいるのだろうが特に朝方は飛ばし方が半端でない。順調に大井沢に到着し根子の入り口まで来たら山岳会の人が見えた。駐車場所を聞いたら一番奥まで行ったらE藤さんがいるよと教えてくれた。奥まで車を進めると準備中のE藤さんの姿が見えたので挨拶する。案の定、少し太ったねと言われた(汗)

当方は2年ぶりの朝日で、前回は龍門で会うことが出来なかったのだが、実際お会いするのは6年振り?くらいになるのかな、相変わらずの笑顔が実にさわやかで再会出来たことがとても嬉しかった。
日暮沢林道は報道の通り崩落して使い物にならず根子集落から登山者は歩きとなる。E藤さんは毎週通うため、すぐ先に自転車をデポしており、日暮の小屋まで自転車通勤とのこと。それでも1時間はかかるという。小屋で待っているよと先行していった。
それと最近の豪雨で大鳥からの林道も崩壊してだめらしい。

準備を整え歩き出す。噂通り林道は道なのか川なのか分からない感じで所々寸断されている。それでも大きく壊れたのは集落付近だけのようで、ここは新たに山を削って別ルートで計画されているらしいが、昨今の建設業の状況で入札不調が続いて着工できずにいるのだそうだ。なるべく早い復旧を祈るしかない。
1時間半ほどで日暮の小屋に到着、先行していたE藤さんがお茶を沸かして待っていてくれた。登山靴を脱いで二階に上がりゆっくりと休憩する。ここでゆっくり休まないと上がとてもきつくなるそうだ。


  
ダム付近からの小朝日    と    寸断された日暮沢林道


久しぶりに会ったのでお互いの近況などを話ながらゆっくりと登り始める。相変わらずの急登は時が経てば経つほど辛いが、朝日に帰って来た証でもあるので気分はそんなに悪くない。いつもは単独なので気ばかり焦って段々辛くなるのだが、この日はE藤さんに着いていくことだけに集中できるので、気分的にはかなり楽になったような気がした。(気だけね(笑))
E藤さんはもっと早く登ることが出来るのだろうが、お荷物をザイルで引っ張りながら登っていただき感謝申し上げます。助けられました。

ゴロビツの頭には少しだけ残雪があり清太岩山までもう一頑張り、ヒメサユリに囲まれた慰霊碑に黙礼し、木立を抜けると朝日の風が実に心地良い。汗で濡れた衣服も一気に乾く心地よい風だ。
清太岩山に腰を下ろすとやっと朝日に帰って来れた気がして実に嬉しいが、一旦コルに下りユウフンに登り返す辛さは筆舌に尽くしがく、これも洗礼の一つと割り切る。
ユウフンでは大休止するが、さすがにじっとしていると風が冷たく心地良いのも初めだけ、寒さに耐えきれず腰を上げる。


  
清太岩山で一服     と     大朝日が顔を出した


イヌワシの餌場でユウフン池を見下ろして友達を捜すも今日は不在の様子、上を見上げると竜門山が高い。小屋が同じような高さに見えるが、あそこからここまでワイヤーを張って移動したいと考えるのは誰でも同じだねと笑い合う。
竜門の残雪が今年は多いという。未だ龍の形にはなっていない感じだ。途中で登山道管理の手伝いをしてご褒美を頂き、雪渓を詰めると竜門山の分岐、何と道標が新しくなっていた。昨年へりで寒江山の分と上げて設置したそうである。
最後の下りでは風も心地良く、展望も大分回復してきた。小屋が見える頃には感極まって涙が出てきたが上を向いて引っ込めた。


  
竜門山を目指す    と    新設の道標


およそ8時間を要して小屋に到着し、荷物を置いたら古寺からの単独者が降りてきた。今日はここに宿泊とのこと、後からもう一人来るよと言ってから、寒江山まで行ってきますとすぐに出て行った。タフだなあ〜。オラはもう限界を通り越している。
E藤さんは朝日ビールで乾杯の前に水の出が悪いので水源まで行って直してくると言う。せっかくなのでご一緒させていただいた。
昨年引水パイプが山肌ごと雪に引っ張られてズタズタになったのは、山岳会のHP等で知っていたが、昨秋へりで新しいパイプを上げ修理したそうで立派になっていた。


  
竜門山で振り返る    と    見えてきた龍門小屋


この小屋の水は盛夏でも涸れたことが無いそうで、今の小屋の水洗トイレもこの水源があるからこそ使用可能なのだという。水源を最初に見つけたのは初代公園管理人の志田忠儀氏だそうで、小屋まで50m程の落差で延長が400m程あるそうだが、その引水の歴史が小屋の歴史と言っても過言ではないそうで、E藤さんの解説でパイプを辿ると、その歴史の重みが感じられた。

水の出が悪いのは降雨後にゴミが水源のフィルターに詰まることが大半なのだそうだ。到着後見ると案の定じゃあじゃあ溢れていたが、ゴミを取るとスッと水位が下がり流れていった様子に安心、しかしE藤さんは両手を痛そうに振っている。何かに挟まれ怪我でもしたのかと心配していると、水が冷たくて10秒も入れていられないのだそうだ。選手交代してやってみたが5秒も持ちやしない。痛いという表現がぴったりのとても冷たい水なのでしだ。



初公開、龍門小屋の水源


ここは人がめったに来ない場所なので自然も豊かだが、熊の通り道でもあるらしく藪が高くなると本当に怖いという。
小屋前の水場の出も回復し龍門小屋名物の「回る朝日ビール」をセットし、冷えたところでやっと乾杯、いやあ、実に美味い二年ぶりの朝日ビールでしたな。これでやっと朝日に帰還した気持ちになれました。

この日の宿泊者は管理人を入れて4人、仙台と千葉からの単独行者でしたがHPでリンクしているSONEさんやMt.Raccoさんの知り合いとのこと、いやあ世間(山)は狭い。
日が暮れるに従い酩酊の尺度も上がり、蝋燭の灯火が着く頃には呂律も怪しくなる始末、そしていつもの通り管理人室から放り出されると朝まで夢も見ないで爆睡である。もちろん、いつ放り出されたかは記憶にはない。








07/13 龍門小屋(6:30)---(7:30)寒江山---(8:30)龍門小屋(9:15)---(10:08)ユウフン山---(10:30)清太岩山---(12:30)日暮沢小屋---(14:15)根子



翌朝は同宿者の出発の音で目覚める。が、当然起きれるはずもなく、得意の「死んだふり寝」状態で時をやり過ごす。
山小屋での朝の惰眠はその日の活力であるとは、隊長の名言だったかな…
皆が出発して暫くしたら管理人室のドアが開いた。さわやかな挨拶で酔いが覚めなんとかシュラフを抜け出す。すぐにお湯を沸かしてコーヒーをご馳走になったらやっと覚醒した。

この日は朝から高曇り、予想ではピーカンの筈が何でだろう。月山は見えるが鳥海は霞んで殆ど見えない。飯豊の稜線が雲の上に浮かんでいるがあまりクリアーではない。
そんなかんなでウダウダしていると「今日は寒江へ行かないの?」と水を向けられた。
手早く朝食のラーメンをかき込みカッパと水を持って小屋を出る。出がけに「無線開けとくから何かあったら呼んでね」と言われたので、こちらも無線のスイッチを入れて出発した。


  
ヒメサユリ    と    オノエラン


外は風が強くじっとしていると寒いくらいだ。すぐにヒメサユリの出迎えを受けハクサンチドリも綺麗だ。
小屋を出て最初の登りのピークで何かを感じて視線を花から上げると、突然目の前で真っ黒い巨大な獣がジャンプした。
一瞬こちらに向かって突進してくるのかと、ひるんで数歩下がったのだが、新潟側の斜面に突入して視界から消えた。暫くガサゴソと藪の中で騒いでいたが、じきに静かになったので、すぐに無線でE藤さんを呼んで状況を報告したら、

そう、それは良かったね。楽しかったでしょう。写真撮れた?

だってさ(笑)

それにしても熊が目の前でジャンプしたのを初めて見たが、すんごい迫力だったね〜。多分7〜8m位しか離れていなかったと思う。
登山道付近で餌を食べていた時に、突然オラの気配を感じて熊もびっくりしたのだろう。慌てた熊の心理状況が十分こちらにも伝わってきました。これを異心伝心(笑)と言うのか
人も熊も泡食ったときは同じですね。地響きするようなとても大きな熊でしたが、後でE藤さんに聞いたら間違いなく「ユウ太」だとのこと、何とE藤さんの大親友でした。知ってたらちゃんと挨拶したのにね(笑)

「熊見岩」付近の雪渓にユウ太は毎日通って来て、雪の消え際の山菜を食べているそうで、それから尾根を乗越して、新潟側の斜面で遊んでから午後にまた戻ってくるそうです。
朝日稜線の熊は余程のことがない限り人を襲うことはないそうです。実際筆者も複数回遭遇しましたが、近い場合は必ず向こうの方で先に気付いて逃げていきました。
多分登山道は人間の領分だと暗黙の了解が出来ているのだと思います。朝日の稜線でそう言う事故の話を聞いたことがありませんからね。

こういう話を信じるか信じないかは別にして、北海道知床の海岸沿いにある番小屋でも、人とヒグマの間にこういう関係が成立しているようです。
それに至るまでの長い両者のコミニュケーションの歴史があっての話で、突然知らない人が行ったら話は別のようですがね。ヒグマは確実に人を襲います。


  
ハクサンチドリ   と   ハクサンシャジン


気を取り直して先に進みます。
南寒江山への急登では足が上がらず景色と花を愛でながら体をだましながら高度を稼ぐ。この辺で前夜狐穴小屋泊の登山者二名とスライドし、やっとの事で辿り着いた山頂付近では、たった一輪だけ咲いたハクサンシャジンが迎えてくれた。暫く展望を楽しんでから一旦下り少し登り返すと目指す寒江山の頂だ。

ここの展望が一番のお気に入り、ぐるり360°遮るもののない展望は実に素晴らしい。とりわけ相模尾根の全貌が最も近くで見渡せるのが良い。三角点に腰を下ろしいつもの通りぐるぐる回って暫くため息をつく。
やっぱり朝日は良いなあ〜。


  
ヒナウスユキソウの彼方に西朝日からの尾根    と    寒江山から望む相模尾根全容



  
寒江山の道標に落雷した跡

雲に浮かぶ飯豊連峰


少し霞んではいるものの十分満足行く展望を楽しんでいたら雨がポツリポツリと落ちてきた。知らないうちに風も止んでいたので間違いなく本降りの雨になるだろう。後ろ髪を引かれるが長居は出来ないので小屋に戻ることにした。
E藤さんは来週末から常勤になるのでこの日は下るそうだが、二人共通の想いは同じで
あ〜あ、下りたくないねぇ…
と未練たっぷりなのだった。



小屋への帰路に見上げる寒江三山


天狗小屋からやってくる三人にお土産の伝言を記して小屋を出ると雨脚が強くなってきた。当然カッパなんて着たくないので下りは少し早足となる。
途中山岳会の四人組に追いつき、清太岩山で「またね」と別れると後はひたすら下るのみ、本降りとなった雨もブナの下は完全ドライなのでカッパいらず、E藤さん、やっぱり早いわ…(笑)

日暮沢小屋で少し休憩、雨は本降りなので自転車のE藤さんは嫌々カッパを着る。方や歩きのオラは秘密兵器の傘をザックから出す。小屋前の徒渉を終え、雨量観測所にデポした自転車を見せて貰ってから、二日間お世話になったお礼を言ってE藤さんとはここでお別れである。自転車では30分で下れるらしいが、オラは傘を差して2時間の林道歩きだ。

二年ぶりの龍門泊まりは辛いこともあったが、それ以上の心の安寧と新たな活力を得ることが出来、またユウ太との出会い、E藤さんとの再会もとても思い出深いものとなりました。

やっぱりオラは、ここに帰って来ないと死んじまう」と痛感した二日間でしたが、久々の長歩きは健康診断書の中身を見事に証明する結果ともなりました。

里での暴飲暴食は程々にね…