【突発性里山徘徊「経ヶ蔵」】


円能寺付近からの経ヶ蔵



【日 程】2013年11月24日(日)
【山 域】弁慶山地
【山 名】経ヶ蔵(474m)
【天 候】曇
【メンバ】単独
【コース】円能寺口 → 山頂往復
(概 略)


円能寺(10:57)---(11:30)胎内くぐり分岐---(12:03)のぞき岩---(12:14)山頂(12:53)---(13:55)登山口


庄内地方の方言に「よぐたがり」と「やっこざけ」と言う言葉がある。どちらも私の性癖を表現するにはもってこいの言葉であると常日頃思っていた。また最近「ばがじんじゃ」とよく言われる。

庄内地方にお住まいでない方向けに解説すると、
「欲たがり」→異常に強欲な者
「やっこ酒」→意地汚く酒に執着する者または、宴席等でお開きまで呑み続け、その後も寝るまで酒に執着し続ける者
「馬鹿爺じゃ」→庄内地方のご婦人方が酩酊した配偶者等のしょうもないおっさんに吐き捨てる言葉

何て意味だと一人勝手に解釈しているが、間違いがあったらお許し願いたい。
「えって、なしておめだば、こげよぐたがりで、やっこざけばっかりのむおんだがの、ばがじんじゃ」(怒)
となるわけです。


    
晩秋の登山路

前夜の天気予報では午前中いっぱい雨で、午後から回復する予報だったので、夜更かしをし遅く起き出すと何故か空は快晴の気持ちよい青空、この一週間雨は降りっぱなしだったので拍子抜けし、朝食を済ませて田んぼの見回りをしていたら何故か無性に山に行きたくなった。と言っても山から暫く遠ざかっている身ゆえ準備も何もあったものではない。とりあえず雨具と靴とザックと水を持ち行き先も決めず車に飛び乗る。近所のコンビニでおにぎりとカップ麺を買うともう既に10時半、胎蔵山もぎりぎり登れそうだったが突き出たお腹が無理だよと耳元でささやいた。

考えるに今年は全然山に行けない年であった。携帯に万歩計機能が付いていたのを知ったのが三日前、試しに履歴を見てみたら一日千歩歩いた日なんてほんの数日、当然体重はうなぎ登り、常時10キロのザックを背負わされたと同じで、とても動く気になれない。そんな私を誰が責めよう。(いるんだよねそれが…)
結局途中までしか行ったことのない中ノ俣の円能寺口へ向かうことにした。

登山口で久しぶりに登山靴を履いているとだんだん気分が高揚してくる。最近歳のせいか喉が渇いてしょうがないのでとにかく水だけはいっぱい持った。先行者がいるらしく軽乗用車が一台あり、秋色の落ち葉が敷き詰められた道をとぼとぼ歩く。
この山は急登が売りでのっけから汗が噴き出す。たいして厚着はしてないのだが堆積した脂肪が水を吸った羽毛服のように重くじわりじわりと体力を奪う。まったく良い歳をしたおっさんが何が楽しくてこんなことをしているんだろう。心拍数に比例して苦痛も大きくなるが何故か表情はにこやかになる…


    
シナの巨木  と  かつての修験道跡

この山は修験者の山であったそうで当時の名残があちこちに残っている。また山自体がとても急峻で尾根以外を登ることは不可能であろう。今は、ひらた里山の会が登山道の整備を行っているようだが、以前は地元の村人達が総出でやっていたと聞いたことがある。山肌は岩盤が露出し表土はほとんどなくブナなどは生育しにくくケヤキ類が多い。登山口の標識には山頂まで80分と書いてあったが…

程なく展望台と書かれた所に到着、いやはや11月の末だというのに暑い…(私だけか)
山から暫く離れているのだが、性癖は変わっていないようでキノコ目なのだった。
そのまま登ると胎内くぐりへの分岐、息が上がるのだ。
それにしても善意で作ったのであろう階段が私の短い足には合わない。それにこれがとっても良く滑るんだよね〜。

大量の汗が目に入り老眼の視力が矯正されたのか、前方の立ち枯れた楢の木にただならぬ気配を感じ視線を集中した。むむ…
ザックを背負ったまま藪の中に突進していくと、何とそこには…
まあ良い。
すぐにのぞき岩に到着、傍らの標識によれば昔修験者が岩の上にて仏門に浸り悟りを求めた場所らしい。座禅岩とも言うらしいが、端っこからのぞくと真っ逆さまに切れ落ちている。肝っ玉の小さい現代の修験者(何が修験者だ)は、ひっと飛び退くのが精一杯である。

    
のぞき岩 と 展望



そこから少し登ると経塚と言う史跡がある。平安末期に納められた経文があったらしい。鉄の棒で柵がされており中には朽ちた木の箱が納めてあった。山形県指定の有形文化財とのこと、私は深く頭を垂れ世の安寧を願ったのは言うまでもない。決して裏に回って立ちションなどしていない。


  
経塚  と  石仏


  

それから一登りで展望台のある山頂に着く。ほぼコースタイム通りの到着である。今の自分にはこれが限界、久しく味わったことのない空腹感を覚えすぐさまカップ麺にお湯を入れる。待つ間におにぎり2個をぺろりと平らげ、その後ズズズっと瞬時にカップ麺をすすり込んだらやっとお腹が落ち着いた。

暫く展望台で景色を楽しむ。遠くに八森から弁慶山に至る郡界尾根が懐かしい。当然注連石は認められないがあの山の陰だろうなと言う見当はつく。鳥海も湯の台の辺りまで雪が降りてきた様子だ。遠方に純白の衣を纏った丁岳の姿がはっきり望まれた。久しぶりの山岳風景に心が癒され呆然と見つめている自分に気づいて苦笑した。
やっぱり山に来ないとね…


  
遠くに丁岳  と  八森からの郡境尾根


それから十二滝口方面へ尾根道を辿る。この道は自分の中でかなりのお気に入りなのだが誰にも言わない。須弥壇岩(しゅみだんいわ)まで足を伸ばす。ここからの展望もお気に入りなのだ。弁慶山地の眺望が素晴らしく半日眺めていても飽きない。
傍らの標柱に目をやると「勇者 池田拓 ここに眠る」と記してあった。
高名な登山家であった故池田昭二氏の長男である拓氏が26年の生涯を不慮の事故で閉じたのがいつだったか思い出せないが、遺族がここに分骨したのであろうか。きっとここで二人して弁慶山地を眺めながら酒でも酌み交わしているのだろう…


     
須弥壇岩を表と裏から


気持ちを切り替えて下山する。午後から気温が上昇したのか下りでも汗が出る。滑りやすい階段は注意していても滑る。思いっきり両足が上がる転倒を数度繰り返すが…
足がぱんぱんに張っても何かに憑かれたようにスピードが落ちないのには理由があるのだ…


  
歓声を上げる「よぐたがり」であった


この日は3人とスライドしたが誰も気付かなかったのだろうか、大昔にザックの片隅に忍ばせておいた買い物袋が役に立ったのは言うまでもない。備えあれば憂いなしと昔の人はいいことを言ったもんだと一人納得するが…


自宅に帰り計量すると5s少しあった…


まあ、こんなことで喜ぶのは、はっきり言って自分一人なのだが…


やっぱり山は良いなと寂しく独りごちる自分…(やれやれ)