【注連石参拝】


注連石(すみいし)

【日 程】2009年5月6日(水)
【山 域】弁慶山地
【山 名】注連石(650m)
【天 候】晴
【メンバ】4人(SONE、みいら、M浦)
【コース】


暫く山から遠ざかっていたところ、M浦さんが"こませ"をまいてくれたので、ありがたく釣られた。同行者はSONEさん、と、みいらさん、どちら様も重篤な"やまいびと"だが、注連石なんてどうして地元以外の人が興味を持つのか不思議だ。

2.5万分の一の地形図を眺めると注連石の表記はあるものの、果たして何処がピークなのか判然としない。近所の藪山名人に聞いても行ったことがないそうだ。んでも、
「どっから登てもよいでねぞ!」と忠告をいただくが、雑用に追われ何も準備できなかったので、厚顔を決め込み皆さんの後を付いていくことにする。

待ち合わせ場所で一台にまとまり出発、途中の路肩にビビリ車を放置、およそ40分の行軍は、わいのわいのと賑やかだ。これでは熊など決して寄りつかない。新緑がまぶしい周辺景色に心癒される。


濃密な新緑に迎えられる

しばらく沢を遡行しいざ藪山へ…
痩せ尾根、急登、背丈を超える密藪、そして、くしゃみに鼻水、目のかゆみと、久し振りの山行は実に楽しく有意義なものであった。

私がくしゃみを連発するたび皆さんから親切にもコメントをいただく(汗)

先頭で藪をかき分けるSONEさんが突然奇声を発する。どうやら目的地が見えたらしい。
次々に到着するや皆さん「おおお…」と歓声を上げる。
展望が開けた先には痩せた岩稜が…

SONEさんに先を譲って貰い私が一番に取り付くが、やっぱり高所恐怖症には辛い(汗)
途中の藪に辟易した分、ぐるりと展望の効く視覚的効果も素晴らしく、特に鳥海が新緑の上に鎮座する姿は薬師如来の如き神々しさを感じた。また、人の手が全く入っていない弁慶山地の名も無き峰々の美しさは筆舌に尽くしがたく、皆放心状態で展望を堪能した。


鳥海が実に神々しく爽やかだ

注連石は「ちゅうれんせき」と読むのが一般的と思われる。「すみいし」とはこの地方独特の訛りによるものだろうが、注連とは、注連縄からも想起できるが、神聖な場所との境を意味するものと思われる。

古神道では、このような岩峰をご神体とする事例も多く、各地に注連縄や紙垂で飾られた奇岩は珍しくない。
磐座(いわくら)とも呼ばれるその突端は、大地のエネルギーが天空に放出されるアンテナのように考えられていたのであろうか。

古の修験者達が山中を駆け回り、突然目の前に現れたその姿に、神の存在を確信したことは想像に難くない。現代を生きる我々でさえ、初めて目にするその姿に驚嘆し感動したのだから…


錆び付いた剣が奉られていた

実に立ち去りがたい場所であるが、参拝後往路を忠実に戻り昼食、虫がうるさい。
その後沢を詰め「鬼のカケハシ」を目指す。
枝沢の先には柱状節理の岩壁が見える。荷物を置き岩登りに慣れてるSONEさんが先頭で登り始めたら、ゴルシュとなりチョックストーン(岩間に挟まった大石)に行く手を阻まれる。岩登りなんて高所恐怖症の病人にはとっても辛いのだが、それでも怖いもの見たさもありここまで登ってきた。でも下るのはもっと怖い。

しかしながらその迫力たるや想像を絶するものがあり、自然が造り上げた造形にまたもや驚嘆する。鬼のカケハシと呼ぶ由縁は、先ほどの岩峰まで繋がっていると言うことなのだろうか?
それよりも獲物を噛みしめ斜面を滑走してくる誰かさんの形相は…
いやいや、書くまい書くまい…(笑)


柱状節理のゴルシュ帯

デポ地に戻り帰ろうとしたが、ふと思い立ち空身でさらに上流へ偵察に向かう。と…
見事な柱状節理の岩壁が連続する光景に度肝を抜かれる。


見上げる岩壁には…

果たして鬼のカケハシとはどこを差すのか、帰宅後も議論が続いているのが現状である。
個人的には、注連石とは特定の場所を指すのではなく、その周辺一帯の神域を示す呼称のように思う。

原始宗教は人間社会が営まれた場所には一様に発生したと言う。つまり世界中の民族の集団生活が発生した場所では、必ず神や生霊などを敬う心根が存在するものだと言うことだ。その延長線上にアニミズムやシャーマニズムが生まれ、世代交代と共に昇華して行った。

古代から自然の造形を敬い神格化することは人の本能であり、かつ生きていく上で必要不可欠な事だったのだろう。
不思議なことに日本にだけ、神道として現在まで当時のスタイルが引き継がれているのだそうだ。

このような古の神域に己が身を置くことは、物好きの道楽のようで一見何の意味もないように思えるかも知れないが、さにあらず…
五感とは別の感覚が…

つまり言葉で表せない感覚に何かを感じるのだ。例えれば「秀逸な美術品を目の前にした時に感じる何か…」と言えば何となく分かって貰える人がいるかも知れない。
それは確かに主に視覚から入ってくる、だが目を閉じても感じることの出来るものなのだ。

人間の生活スタイルは文明の発達と共に変化し、現代では自らの生命を維持することに限って見れば、さしたる困難は無いはずなのに、それ以外の苦悩が蔓延し人々を苦しめている。
文明は進化したが人間の進化のスピードが追いつかず、自分の首を自分で絞めているような矛盾に気付きつつも、その根本的解決策の追求を放棄した結果などと言ったら語弊があるだろうか。現代人は何か大事なことを忘れてしまったように思う。


いやはや実に楽しく有意義な一日でした。ご同行いただいた諸氏に大感謝である。
抽象的虚言妄想お許しをm(._.)m



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