【湯ノ沢岳から金峰山初縦走】


朝日に染まる湯ノ沢岳

【日 程】2004年11月23日(火)
【山 域】摩耶連峰
【山 名】湯ノ沢岳(964m) 母狩山(751m) 金峰山(458m)
【天 候】晴
【メンバ】単独
【コース】本郷登山口→湯ノ沢岳→母狩山→金峰山→青龍寺==(バス)==本郷
(概 略)


本郷登山口(6:04)---九合目(7:33)---(7:45)湯ノ沢岳(7:57)---九合目(8:06)---三ノ俣山(8:46)---(9:40)母狩山(9:52)---鎧ヶ峰(10:35)---金峰山(11:07)---中の宮(11:29)---青龍寺参拝口(11:53)---庄内南工業団地BT(12:20)---(12:33)協立リハビリ病院BT(12:56)===朝日交通バス===下本郷BT(13:17)---(13:43)本郷登山口


初めに、この山行は東北の山MLの佐藤、岡本、両氏の記録を参考にさせていただいた。感謝御礼申し上げます。

摩耶連峰は庄内南部に位置し、連峰最高峰の摩耶山(まやさん)から北方に直線的に延びている。先般、湯ノ沢岳(ゆのさわだけ)から金峰山(きんぽうさん)までの縦走路が整備されたという情報を得てから、いつかは歩いてみたいと思っていたのだが、単独では車の回収に問題があり躊躇していたのだが、バスで繋がるという上記両氏の情報により今回の山行と相成った。
前日、知人を誘ったのだが都合が悪いらしく断られ、車2台による連絡の夢は潰えた。理想は各登山口に車を置いての縦走だろう。

天気予報は晴天だったが家を出るときには雨が降っていた。何とかなるだろうとかまわず出発、櫛引町の辺りから雨は降ってなかった。落合の国道112号の交差点を大鳥方面へ少し進むと橋を渡りすぐの左カーブで右折、安藤組朝日砕石場の看板を目当てにすぐに左折し林道を進むと堰堤のある登山口に着く。まだ暗い中準備をし出発、最初は畑の中を登る。途中カモシカが地響きを立てて逃げていった時は熊かと思って肝を冷やした。杉林の中を進み斜面に取り付くとジグザグに登路は延びている。すぐに一合目の看板が現れ、二合目の看板までは急登が続く。すぐに三合目の看板が現れ以後ずっとなだらかな尾根道、


季節外れのイワウチワが一輪咲いていた

四合目の清水不動明王から急登の始まり、以後ずっと両側が切れ落ちた尾根道を進む。途中季節外れのイワウチワの可憐な花が一輪咲いていたのに慰められ頑張ると鎖場が現れ、もう一頑張りし九合目の母狩山(ほかりさん)への分岐へ到着する頃には精根尽き果てた。ここを左に進み湯ノ沢岳の頂きに向かう。一旦少し下りまた登り返すと何とか山頂に到着、暫し展望を楽しむ。

天気は安定せず視界もあまり良くない。それでも雪を被った月山の頂が朝日を浴びて神々しい、遙か彼方の尖った頂は朝日の障子ヶ岳だろう。目を凝らすと以東岳の山塊は雪を被って白くなっていた。朝日の主脈も雲の合間に確認できた。視界の良いときには時間を忘れて展望を楽しめることであろう。さて、道中はまだ長いので急いで出発する。




朝日差す月山



朝日連峰の展望、左のピークが障子ヶ岳か、その奥に朝日主脈が確認できる。

九合目の分岐からはブナ林の中の緩やかな下りが続く、落ち葉が積もってフワフワして歩きやすい。ここの林相はとても綺麗だ。特別太い木はないが新緑の頃の散歩は気持ちよいことだろう。三角点のある三ノ俣山まではとても歩きやすい。ピンクのテープを見失わなければ心配なく歩くことが出来る。この辺から下界の展望が少しずつ開けてくるが、アップダウンが結構あり辛い、さらに標高が下がると藪山で、道は刈り払われているのだが展望が利かなくなる。長滝への分岐を過ぎてからの最後の登りは辛かったものの何とか母狩山へ到着、空腹を感じたのでおにぎり二個の休憩。

母狩山へは98年に登っているが、当時より周辺の木々が刈り払われ視界は良くなっている気がした。年月の経過は速い。暫し感慨に浸る。「人生とは山登りのようだ」とは先人の言葉、「辛い登りの後には素晴らしい展望が」は、よく使うフレーズ、でも人生そんな単純じゃないんだよね。「なんでですかね?辛い思いをして山に登るのは」とは尊敬する人のポエム、いろんなフレーズが頭の中を過ぎる。借金取りが来ないから山に逃げるんだと言った人もいたとか、それぞれの山、それぞれの人生、比叡山では、毎夜山中を飛び歩いて修行する坊さんもいるとか、人はどうして山に登るのか・・・ 

さて山行は続く、ここから金峰までは表示看板によると2時間少々、大きく下る稜線が見えた。最低鞍部までおよそ300mの下り、とてもスリッピーで手摺り代わりのロープにつかまりながら下る。もういいい加減下るのは嫌になってきたが、この先まだまだ続く。暑くてたまらずTシャツ一枚になる。120mほど登り返して展望の良い鎧ヶ峯(566m)に到着、ここでやっと鶴岡市街がはっきり見渡せた。鳥海までは見えないが、結構の展望である。そしてまた大きな下り、下りきるとこの日初めて行き交う登山者、湯ノ沢から来たと言ったら驚いていた。「熊はいませんでしたか?」の問いには、野暮なことは言いませんでした。熊だって時には人が付けた道を通ったて良いじゃないですか。この後、四、五人の登山者と出会う。ここは鶴岡市民の憩いの場なんだと改めて感じた。

ところで、このコースの水場は、登山口に飲めませんの表示がある水場以外確認できなかったのだが、湯ノ沢岳九合目から山頂に至る途中右手に清水の表示と、金峰神社少し手前左手に水場の表示(共に未確認)以外無かったように思うが、次回確認したいと思う。私は金峰中の宮の伽藍前の手水(飲めるどうか未確認で喉を潤した)まで必要なかったが・・・

金峰山頂の展望台は庄内平野が一望できとても良い。中の宮までの下りは、結構足に来た。噂の美人の巫女さんに会釈し、この先の道を尋ねようと地図を出そうとマゴマゴしていたら、あらあら奥に行ってしまった。変な風体のおっさんに恐れをなしたか。しょうがないので境内の掃き掃除をしているおじさんに道を確認し、車道ではなく旧道を青龍寺に下る。この道なかなか趣があって良いですよ。



母狩山から金峰山を望む


「めずらしや山を出で羽の初なすび」芭蕉 なんて句碑があったりする。とても太い杉木立をながめながら下り、ふと思いつきバスの時刻表を確認すると後1時間もない、ここから焦って大慌ての競歩的急ぎ足となる。
青龍寺簡易郵便局から右折し後は工業団地まで一本道、初めて歩くので時間が読めず、とにかく急ぐ、およそ30分でバス停に到着、今の季節、国道112号の歩道をTシャツ一枚で闊歩し、ましてや捻り鉢巻きとは論外だ。行き交う車中の視線は、おだやかな日和とは対照的にシニカルだ。いくら厚顔蕪村な小生といえ、藤沢周平の古里での蛮行に羞恥の心も働き、このバス停はパス、時間も少し余裕があるので、先の静かなバス停までコソコソと(本当か?)歩くことにする。

途中から旧道に入り二区間歩き、協立リハビリ病院前まで来たらもう歩くのがほとほと嫌になった。車道歩きは疲れるんだよね。ちょうどベンチもあるので靴を脱いで座り込み、パンをムシャムシャ食っていたら自転車の子供達に笑われた。今時こんな格好で道を歩き、バス停でパンを貪る人なんて珍しいのだろうか。
ほぼ定刻のバスに乗り、歩いてきたルートを眺めながら下本郷バス停までおよそ20分、後はゆっくり車までおよそ2qの道を歩く。

登山口には5台の車、その内の1台が八戸ナンバー、遠いところからご苦労なことである。顔を洗いお湯を沸かしていると一人の下山者が現れた。暫く雑談すると八戸からの人であった。私と同年配か?
とても面白い人で年間200日は旅をしているという。これまで登った山は全国で1400ほど、九州と四国がお気に入りで年に2回は必ず行くという。移動は全て車(最近買った8年落ち65万円のシビックは高いと本人談)、車中のカーテンは完璧で多分ほとんど車中泊と思われる。明日は新潟の白山周辺の日本平とか、市販のガイドブックによりここまで来たが、内容のいい加減さに憤慨しておられた。

先日、障子ヶ岳で会った茂手木君や今日の人といい、山に来るといろんな意味で面白い人に出会える。百名山はとの問いには、もう8座ほどわざと残しているという。その代わり東北百名山は完登と言うから我々凡人とは違って、その価値観が面白い。東北の山が一番落ち着けるとは共通の意見であったが、これから母狩山に行きたいような口振りだったが、どうしたことか・・・

かたくり温泉で汗を流し、楽しみにしていた季節限定の地酒を仕入れてからゆっくり帰宅した。春に再訪したい山となった。



母狩山




湯ノ沢から母狩への縦走路のブナ林




青龍寺付近の車道から母狩から金峰の稜線